小澤實「翁に問ふプルトニウムは花なるやと」(『澤』)・・・
小澤實第4句集『澤』(角川書店)、その「あとがき」に、
(前略)本集の末尾近い平成二十三年は、東日本大震災のあった年だった。この年には福島第一原子力発電所の事故も発生して、都内で生活していたぼくにとっても、たいへん心細く感じられる日々が続いた。(中略)芭蕉の旅で訪ねた際、あたたかく迎えて下さった。みちのくのひと、そして風土が深く傷つけられたことは、忘れてはならないと思っている。
表題「澤」を用いた句は集中いくつかあるが、表題句とはしない。表題「澤」はぼくが主宰する俳句雑誌の誌名に拠る。「澤」創刊号(平成十二年四月号)から「誌名『澤』について」全文を引こう。
「澤」はしぶきを上げつつ天から地へ山中を流れ下る清冽な一筋の流れである。それはそのまま清新な俳句の比喩ともなろう。その一語に小澤實が生まれ育った信濃の山中、その青々とした風景も彷彿とするのである。
この文章に現在付け加えることはない。
とあった。ともあれ、愚生好みに偏するが、集中よりいくつかの句を挙げておきたい。
みしみしと増ゆる人類冴え返る 實
ケフチクタウケッシテ死ナナイデクダサイ
南都海龍王寺別称隅寺伝来
般若心経二百六十二字涼し
出雲
神在や晴よろこべる鳶鷗
かはぞこもかはらも石やあきのかぜ
眞鍋呉夫氏
黒のボルサリーノと杖と朧を来
即死以外は死者に数へず御柱
会津
少年を死なせし国やさるすべり
ふるさとは洟たらし父ゐるところ
立ち上がらずよ草に這ひ草を引き
メタミドホス・ジクロルボス・クロリピリホス黄砂降る
香水杓(こうずいじゃく)にさしだす掌掌掌われの掌も
島本町に田中裕明ゆかりの藤寿司を訪ぬ。鱧のうきぶくろを笛と称すれば
鱧の笛鳴るべうもなし酒酌める
小澤實(おざわ・みのる) 昭和31年(一九五六)、長野市生まれ。
★閑話休題・・大谷清・津のだとも子「VISION する・かたち」展・・
大谷清・津のだとも子「VISION する・かたち」展(於:アートスペース羅針盤)は、本日、11月11日(土)が最終日でなので、躊躇なく訪ねた。かつては両名とも、阿部完市の「現代定型詩の会」の重要メンバーにして、現在は、山梨県北杜市に居を移し、画家であり、かつ地元での句会を楽しみながら、「山河」同人でもある。昨日、大阪から土井英一(「儒艮」)が上京してきたと言っていた。
また、会場に貼られた口上、「抽象感覚絵画のこと」には、
抽象感覚絵画は宇宙にかたちを与える絵画である。けれども実際の巨大宇宙はねじれている、というのは私の妄想である。妄想はふくらむ。無数の、無限数の微粒子は、まちまちの軌道でありながらそのねじれに巻き込まれ、交差し混合合成しつつ或る方向へと突き進み、壮大な渦巻きを形成している。他ならぬ「私」はそのねじれに巻き込まれる小宇宙である。微粒子の運動はリズムである。リズムは未来へ投げかける前進力である。(以下略)
とあった。
撮影・中西ひろ美「星のように花も咲くなり千代尼の忌」↑
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