澤好摩「枯葎猛けたる径の岐れかな」(「円錐」第98号)・・
「円錐」第98号(円錐の会)、目次裏に「お知らせ『澤好摩 逝去』」がある。
俳句同人誌「円錐」発行人である澤好摩が逝去しました。
死因は、脳挫傷。
死亡時刻は、二〇二三年七月七日の午前十時三十五分。(中略)
本号のために預かっていた作品が、澤好摩生前最後の作品となってしまいました。
巻頭に掲載させていただきたく存じます。
編集人 山田耕司
とあった。澤好摩・享年79である。また、「編集後記」に、今泉康弘は、
(前略)ぼくにとっての澤好摩は一種の「父」だった。と言っても孝行の対象、ということではない。「息子」にとっての「父」とは、反発し、否定し、乗り越えるべき対象である。その意味で、彼はぼくの「父」だった。殊にこの数年ぼくは彼に対して反発ばかり感じていた。だが、近所での「父」の評判は良かった。
「お宅のお父さん、良い方ねぇ」とよく言われた。そのことの意味を考えねばならないと思う。
また、十一月四日、都内で「澤好摩を偲ぶ会」を予定し、次号は「澤好摩追悼号」だという。本号の特集は「第七回 円錐新鋭作品賞 受賞者最新作」。そして、今泉康弘は「シベリアを遠く離れて/『シベリア・シリーズの画家・香月泰男(かづきやすお)と白泉・敏雄との同時代的共振」と「表健太郎『鵠歌(くぐいうた)※黄金平糖記』(二〇二一)を読む」、「『TAR タ―』、または、権力と不安」の三篇を書き、健筆をふるっている。その香月泰男について、
(前略)3 歴史は後から作られる
現在、我々の見る香月泰男の「シベリア・シリーズ」は、一つの物語(ストーリー)として構成されている。画家が徴兵されて訓練を受け、大陸へ渡り、ソ連によって抑留されて、舞鶴へ帰るまでという時系列に沿った物語(ストーリー)である。だが、最初からそのように構成されて作られたものではなかった。(中略)
一九六七年、画集『シベリア』が出版されかつ、その刊行記念の展覧会が行われる。―「それまでに描きためた32点の作品を自らが体験した順番に並べ替え、紹介したこの画集と展覧会は、一群の絵画を初めてひとつの物語に沿ったまとまりとして提示した。以降、「シベリア・シリーズ」という呼称も定着してゆく」(同)。このようにして「まとまりのない作品群に、総体としての意味が与えられ、その受容の方向性が決定づけられた」(同)のである。
連作とみなされるものであっても、その制作の最初のうちは、「総体としての意味」は存在しなかった。初めは他の作品との概念(コンセプト)上の違いは明確でなく、また、いくつかに数が増えても、それぞれの間での連関もなかった。それが、ある契機を得て、一つのまとまりとして認識されることになる。「シベリア・シリーズ」はこうした成り立ちを持つ。
とあった。ともあれ、本号より、いくつかの句をあげておこう。
知つてゐる町とは違ふ諸葛菜 澤 好摩
短かくもまぶしき午睡兵士らの 橋本七尾子
空蝉は大樹にたかり毀れ落つ 矢上新八
帰りには渡らぬ橋の陽へる 小林幹彦
平時平民平服斬首立葵 山田耕司
首筋に襟が影差す夏初め 土屋幸代
鏡今みづいろなりしいなびかり 吉冨快斗
ぼくたちを滅ぼすための■が降る 池田宏睦
鳥帰る渚に羽毛ただよはし 丸喜久枝
なつかしい春をにぎはふ東西線 荒井みづえ
迷彩の海水パンツ脱げやすし 摂氏華氏
ポケットに気になる清め塩や春 栗林 浩
先に出る門司港行や夏休 山本雅子
純白の牡丹に背中押されたる 江川一枝
君を名ではじめて花のもとに呼ぶ 原田もと子
氷山は崩れスプーンにかき氷 大和まな
骨揚げのときをふぶけり山櫻 横山康夫
夕立の逃げ足はやし物干場 後藤秀治
水呑まぬ金魚に水を足してやる 立木 司
花屑の許されている場所とする 来栖啓斗
青芒人差し指を切られけり 田中位和子
自己暗示ひとつ檸檬の花ひらく 赤羽根めぐみ
辰雄忌やあずさ2号は乗れません 和久井幹雄
青田青空青野青梅青二才 味元昭次
撮影・中西ひろ美「夏深し木藤才蔵連歌論」↑
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