相原左義長「被爆せし身にて戦前戦後なし」(堀田季何「原爆と俳句」東京新聞・8月7日夕刊)・・


  堀田季何「原爆と俳句」(「東京新聞」8月7日夕刊)、その中に、


 (前略) ヒロシマに遺したまゝの十九の眼   相原左義長

      広島や卵食ふ時口ひらく        西東三鬼

 これらの季語やキーワードは、数ある被爆国の中で、日本だけが唯一の戦争被爆国であることを、まざまざと思い起させる。二カ所で起きた惨劇とはいえ、同じ指令(広島・長崎を目標に含む原爆投下指令書が七月二十五日に発令された)に基づき、同じ第二十航空軍司令部によって連続で実行された。国際法違反且(か)つ世界初の原子爆弾による虐殺であり、一つの事件として捉えることも可能である。それゆえ、広島と長崎を分けず、両方の原爆の日を、包括的に原爆忌という季語として扱うことも多い。二句目は、両日の日付を合わせて使う特殊例。

 猫転がり人寝転がる原爆忌     堀田季何

 魔の六日九日死者ら怯え立つ    佐藤鬼房(おにふさ)

 俳人には、広島原爆忌が夏で、長崎原爆忌が秋である(その間に立秋が来る)ことを重視する人たちがいる。(中略)私は広島の被爆者及び遺族の末裔として、悲しく思う。例えば、広島の被爆者の次のような有季句は、季語が十分働いているが、実際そこに季語の素材があったから用いただけで、立秋を過ぎたかどうかなど気にして作句していたわけではない。七歳の弟の死を嘆いた一句目の作者は当時十歳で、作句直後に亡くなった。

 蝉鳴くな正信ちゃんを思い出す   行徳功子

 廃墟すぎて蜻蛉の群を眺めやる   原 民喜(はらたみき)  (中略)

 被爆者や遺族にとって、原爆俳句とは、自身たちの記録であり、魂の叫び声である。私のような末裔にとって、原爆俳句は生き証人から伝えられた多くの話を、語り部として伝える手段である。また、狭義の当事者でない書き手にとって、原爆俳句とは、同じ人類として、そういう意味で広義の当事者として、被爆者の忌を修し、同時に、核兵器や戦争を告発する文学である。私は、今後も多くの原爆俳句が書かれることを切に願う。想像力の欠如が戦争を許してしまうとすれば、想像力を促しうるものとして原爆俳句がる。


 とあった。その他の同紙に掲載されていた句を以下に挙げておこう。


  広島忌振るべき塩を探しをり          櫂未知子

  消えてより蜥蜴の蒼さ長崎忌        鍵和田秞子

  爆心地一流燈を光源に           相原左義長

  みどり児は乳房を垂るる血を吸へり      西本昭人

  彎曲し火傷し爆心地のマラソン        金子兜太(とうた)

  なにもかもなくした手に四まいの爆死証明  松尾あつゆき



      撮影・鈴木純一「みほとけの六日九日はだしかな」↑

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