柳堀悦子「笑ふ父心にをりて盆用意」(『鼓動』)・・・
柳堀悦子第一句集『鼓動』(邑書林)、跋文は島田牙城「家族の鼓動」、その中に、
(前略)ところで、俳句の良さに短さと切れがある。「短いゆゑに切れが必要とされた」などといふ難しい話はしない。潔く言ひ切る氣無くして、俳句は作れないといふことをのみ、「短さと切れ」に感じればいい。ポツンと漏れる独り言や呟きとは、そこが違ふ。句集では、今まで抜いてきた句もおしなべてさうだが、世界を鳥瞰してゐるかのやうな大景であったり、季語を鷲掴みにする骨太の作品が到るところに現はれ、この俳句の良さが遺憾なく発揮されてゐる。
とある。また、著者「あとがき」には、
(前略)父方の叔父、加藤四郎に勧められて俳句を始め二十二年になります。
私の祖父は父方俳句、母方は美濃狂俳を吟じ、ふたりとも稼業は全て家人に任せて俳諧にのめり込んでいました。二人の祖父の姿をみて育った私ですが、俳句には興味がありませんでした。
電気店を営んでいた父は神社仏閣、酪農の雷の電気事故が多くなっていることに気がつき被害を防ごうと、避雷機器の発明もしました。全国の落雷事故を無くすことが父の夢でした。雷鳴を聞くと双眼鏡を持ち出して外に飛び出して観察する父、落雷があればどこへでも飛んでいく父、私は研究熱心な父が大好きでした。結婚後も実家に通って防雷の仕事に打ち込む父と母と一緒に支えていました。しかし父はその志半ば、突然の事故のために亡くなりました。その時に私の心に空いた大きな穴を埋めてくれたのは、父の死の数年前に叔父から勧めらて始めた俳句でした。(中略)
今年五月、九十四歳になった母は句歴約二年にして『風が吹く』を上梓しました。
慢性心不全なのでいつ鼓動が止まるかわからないと主治医に言われながらも、心配する私をよそに毎朝、ぱちっと目を覚まし、すこぶる元気にデイサービスに通っています。
とあった。集名に因む句は、
泥炭の沼や蛍の鼓動めく 悦子
村正の波紋の鼓動冬ざるる
であろう。ともあれ、集中より、いくつかの句を挙げておこう。
大夕焼窯の煙の染まりけり
一生を防雷事業に捧げた父へ
梅東風や好文亭の避雷針
枝はなほ水に傾き松の芯
凶御籤焚き上げてなほ厄日かな
母眠し母のとなりに日暮まで
母の日や百歳まではあと九年
雲州の浜に日矢差す神の旅
日記果つ皆健在と母の文字
集落のどんどの櫓寒北斗
月見草咲いて「猫バス」来る予感
柳堀悦子(やなぎぼり・えつこ) 1953年、東京都生まれ。
★閑話休題・・訃報あり!澤好摩氏急逝7月7日に。澤好摩「影まで酔ひ月夜の駅の階に消ゆ」・・・
詳しい事は不明だが、昨夜、澤好摩の訃に接した。東北への旅先のことであったらしい。密葬、後日偲ぶ会があるかもしれない、とのことだった。愚生が、東京に流れついて、最初に出会った俳人が、現在「円錐」の同人である澤好摩と横山康夫であった。代々木上原の公民館で行われていた「俳句評論」の句会だった。すべてが偶然であった。澤好摩は、1944年5月22日生まれだから、享年79.である。突然のことで言葉もない。ひたすら、ご冥福を祈る。
撮影・中西ひろ美「森駅で分かれますとは夏燕」↑
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