髙橋宗司「いち津波二に空襲と杜鵑花(さつき)の師」(『芭蕉の背中』より)・・
髙橋宗司詩集『芭蕉の背中』(コールサック社)、懇切な解説は鈴木比佐雄「『芭蕉の背中』を追って『人類の哀しみの日に』記される詩」。その結びには、
(前略)Ⅲ章「人類の哀しみの日に」では、「影」「マスク」、「天邪鬼」、「青年」、「輝く命」、「八月」、「うっすらと雪のごとく」、「ジャンボ」、「ギリシャ風建築を横目に」、「つれづれに」、「人類の哀しみの日に、「いま」の十二篇が収録されている。新型コロナ下であり、ロシアのウクライナ侵略後の世界の中で、ありえない非日常が日常化されつつあることを憂いている。そしてそのような情況においても、詩「人類の哀しみの日に」では、「戦争屋 戦争用具店営む死の商人よ」と軍拡に急速に傾く国際情況の根本的な問題点を指摘し、最後に「世界のとある街角 何かに怯えながら/抱き合っている マスクをした男女」とこの時代の象徴的な光景を記録している。このように「芭蕉の渇き」に肉薄し「芭蕉の背中」を負いながら「人類の哀しみの日に」詩を記そうとする髙橋氏の詩的表現力は、きっと日頃に詩を読まない人びとの心にも伝わるに違いない。
と記されている。また、著者「あとがき」に、
一、二〇〇年前も花は咲き、散っていた。
ひさかたの光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ
紀友則 (『古今和歌集』所収)
花が咲き、同時に散ってもいる今日、私はその今日が一、二〇〇年前の世と言われても驚かないような気がする。私はその時代の男や女と共に暮らしているだろう。
そういう意味ではかの芭蕉翁(おう)の生きた時代は私には、少し前の世界であったような気がするのである。芭蕉はごく普通のひとにして超人的な側面を持ち合わせていたに違いない。やはり沢山の人々に支えられながら。
とあった。ともあれ、本集より、短い詩編をひとつ挙げておこう(本ブログでは長い詩は引用しきれないから)。
夏のたそがれ
わたくしはS公園の もみじ谷と呼ばれる坂道
全景の深い森をバックに動物園・パーラー設置の高台と
四季の植物園・水上遊具施設を備える低地を結ぶ 坂道
走る人 速足の人 犬を引く人 物憂げに歩む人 ペダルを
踏む人 人々がわたくしの背中を上ったり下ったりしてゆく
ひとは歌い口笛を吹き吹き笑い 或いは無言で
わたくしは悦び哀しみが行き交うのを 背中に感じている
いまわたくしの傍らを生きる青紅葉
その葉を潜る夕陽
青年の口笛に蜩の音が共鳴する
髙橋宗司(たかはし・そうじ) 1948年、埼玉県所沢生まれ。
撮影・鈴木純一「芍薬は夢だ夢だと目を醒まし」↑

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