鴇田智哉「夏至の団地の一階暗くある」(「新京大俳句」創刊号vol.1.0より)・・


「新京大俳句」vol.1.0(編集 馬場叶羽)、表紙には、


Tunisiaの夜禿鷹が円を書く/カジオ・ブランコ

戦略的な造形は単に/季語の風景に隷従する/だけであることを

蒋草馬「神野紗希mにおける口語の文体戦略」/京大俳句


 とある。また、冒頭にはマニュフェストとして、


新京大俳句創刊宣言/時制を殺害せよ。/ポエムを奪還せよ。/思考しつづけろ。

環境は不快でなくてはな。/テーゼはすべてつまらない。

物から物へ手渡された引導へ目覚めよ。/詩が喪失した言葉自体の素材をかいせよ。

わたしたちは盆地とデルタのフォルムに記憶と妄念の体躯を這わせ、見慣れたふを問い直しつづけながら、あるいはいまらした問い立てをすべて棄却して単にように漂流しつづけていく。二義的な漂流のあいだわたしたちはなにものにもならず、だれにも捕捉されないまま具体的でありつづける。漂流に対する偶発的な切断面としてここに本誌の出発とする。

                令和8年2月於百万遍 原案 蔣草馬


 とあった。また、「創刊号特集」に「京大と俳句~戦後から現在まで~」の執筆寄稿に、竹中宏・江里昭彦・堀本吟・仮屋賢一・蒋草馬。創刊号発行記念対談に鴇田智哉×カニエ・ナハ。表論には、蝦龍軒主人「形式と逸脱の生成論ー俳句史のドゥルーズ的読解試論ー」、蒋草馬「神野紗希における口語の文体戦略」、川嶋ぱんだ「写生の境界 不器男の写生はどこが新しかったのか」、佐々木幸喜「俳句と阿部公房」、喃多哩唖里玖「言葉を刈り、事柄を駆る」など。

 ともあれ、本誌より、いくつかの作品を以下に挙げておこう。


  四月一日 日の冒頭(はじまり)の鴉聲(あせい)かな 石井鴒端

  髪洗ふ受胎を夫に告ぐ前に          岡本竜旺

  忘れておればあらぬこと抜歯式    カジオ・ブランコ

  灰に近き青に覆われ春の山            牛進

  森が丸ごと蝉の身体で声がする        澁谷夏輝

  ドーナツの斜めに並ぶ涅槃の日         武田歩

  誰かの飴を百回コピーしたやうな日永     田中段波

  猫交るけふだけ効いて入場券         田村転々

  さむぞらにパターンのビル上部で捻じれ   超文学宣言

  日が覚めて昼すぎてゐる花水木        津原悠太

  略歴が白紙八月十五日            冨嶋大晃

  だとしてもとほくで鷺がねむつてゐる    中島丈多郎

  熱だけがリアル               野上翠葉

  をりかへす鶴の速度をねぢり書く       柊木快維

  土砂降りを下駄の鼻緒の中から抜く      茉白ゆな

  いぬびとに風売り暮らすがゞありん      柳元佑太

  


    撮影・芽夢野うのき「黄の薔薇の主張はなんぞ気になる路線」↑

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