上田玄「撃チテシ止マム/父ヲ//父ハ」(「鬣TATEGAMI」第99号より)・・


 「鬣TATEGAMI」第99号(鬣の会)、特集は「第24回『鬣TATEGAMI・俳句賞』」、『上田玄全句集』、「句集『燃えるキリン』井口時男」。第24回「鬣TATEWGAMI 俳句賞」の授賞評は外山一機「『出口』の在処は――秋尾敏『子規に至る』——」、中里夏彦「臨界の目玉 高橋修宏『暗闇の眼玉 鈴木六林男を巡る』」。『上田玄全句集』評は大井恒行「父ハ日本カ…」、林桂「上田玄をくぐる俳句史」——上田玄論」、堀込学「上田玄試論——反近代のリアリティ」、一句鑑賞に佐藤清美、吉野わとすん、九里順子、池田楠、水野真由美他。井口時男句集『燃えるキリン』評は、董振華「井口時男句集『燃えるキリン 乱調泰西美術史初学篇』を読むー俳句という〈真剣な遊び〉の到達点ー」、後藤貴子「絵画の親和性」、一句鑑賞に大橋弘典、加那屋こあ、齋木ゆきこ、瀧澤航一、中川伸一郎、西躰かずよし、西平信義、深代響。その他、水野真由美「追悼 岩淵喜代子/火種のごとく」。投稿エッセイの児玉佳久「『新興俳人 高篤三資料集』補遺2ー細井啓司編著『高篤三句集』の誤記の訂正ー」には、


 細井啓司氏の『高篤三句集』は、新興俳人の高篤三作品を読むうえで必要不可欠な俳句資料集であるが、偶々誤記と思われる箇所が目に付いたので、指摘し訂正する。(中略)

  クレー射つ白服のをみな面色(いろ)も変へず(セ12・8)

 も掲載されている。(中略)「セ」とあるのは、昭和六年に創刊された国際雑誌「セルパン」のこと。確認のため同誌の該当ページのコピーを神奈川近代文学館より送っていただいて照合したところ、

  クレー射つ白服の夫人面色(いろ)も変へず

とあり、中七が「白服のをみな(・・・)」でなく「白服の夫人(・・)であった。「をみな」より「夫人」の方が適切であると私には思われる。(中略)ともかく『高篤三句集』の15頁掲載の二句目は「白服の夫人」であることは間違いないので、僭越ながら訂正する次第である。


 とあった。ともあれ、本誌本号より、幾つかの句を挙げておきたい。


  フクシマは

  くやしい

  しかも

  目交(まなか)ひの虹(にじ)       中里夏彦


  落ち切れずまま錆びている白椿       堀越胡流   

   アストル・ピアソラ(バンドネオン・作曲/1921~1992)

  バンドネオン紙風船となりにけり     中川伸一郎

  春光をあつめつくして海の駅       齋木ゆきこ

  ひとのかずだけのこすしおさい     西躰かずよし

  きらん草切手のなかに遠い海       加那屋こあ

  しらしらと辛夷ささやくささやかに     佐藤清美

  空色は立春のこの天の色          青木澄江

  居場所告ぐとき四月の砂漠など     吉野わとすん

  三月の水に届かぬ指の先         水野真由美

  かんがえのひとつそのかたごしがやまぶき  堀込 学

  

  椅子にある

  潮の匂いや

  生きねばや                外山一機


  鏡射抜(かがみいぬ)きし

  鳥速比古(とりはやひこ)


  吹雪(ふぶ)くかな            深代 響   

      

  顋門(ひよめき)や絵本を積みしバリケード 後藤貴子

  御死(おし)にたか今少ししたら藤の花   井口時男

  白き山茂吉のうたう古きコラール      樽見 博

  まつすぐに家郷に向かふ朝の川       丸山 巧

  みちのくの大(おほ)きな空(そら)の梅雨曇(つゆぐもり)

                        林 桂



    撮影・芽夢野うのき「花火みなだれかの顔に似て空へ」↑

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