北夙川不可止「みづからを象(かたど)り神の造りしとふ人われの身は独房にあり)(『ねこのあたま)・・
北夙川不可止第2歌集『ねこのあたま』(エディション・エフ)、巻末の小川優子「『ねこのあたま』に寄せて」には(原文は旧仮名遣いに正漢字)、
題に騙されて可愛らしい内容や猫の登場を期待してもだめだ。第一歌集の愛読者は落胆するかもしれないが、実はこの『ねこのあたま』こそがホンモノの北夙川不可止であり、短歌の真髄を究めている。
一九九〇年代の前半、短歌を始めて漸く『アララギ』に慣れてきた私は、とんでもない歌に出会い衝撃を受けた。「独房」「鉄格子」「獄」「金網」などのパワーワードが並ぶその一連は、三千首以上の歌が載っている誌面で、そこだけ異彩を放っていた。
独房の午後何もなく日時計のごとくうつろふ鉄格子の影
独房の窓より見ゆる橋一つ赤き尾灯がつぎつぎに去る (中略)
そうやって北夙川不可止という目立つ名前はたちまち私の記憶に刻まれ、以後毎月『アララギ』を開くと、自分の作品もそこのけに北夙川の名を探すようになった。
それを見つけるのは容易だった。千五百人にも及ぶ会員の作品は一人あたり1~2首の掲載が平均だったが、なんと彼の作品は5~8首が特選欄に載っていたからだ。それはどんなベテランにも真似できない技で、そのクオリティの高さは目を見張るほどであった。
とあり、著者の自抜には、
私にとって第二歌輯となる本書『ねこのあたま』は、可愛らしきタイトルとは裏腹に、獄中歌輯である。
千九百九十四年一月に逮捕されてより三十年目となつた二千二十四年十月、私は還暦を迎へた。
千九百九十九年五月に仮釈放されてから数へても、四半世紀が経つたことになる。あの時の私はまだ二十九~三十四歳の若者なりしに、今はさういふわけにはいかない。そろそろ作歌当初の作品を纏めておかぬと、当時のことを鮮明に思ひだせなくなるかもしれない。さういふ思ひもあり、近作ではなく作歌当初の作品を纏めることにしたのである。(中略)
「ぬばたま」は亡くなつた愛猫の名前。そして彼に献呈した歌輯である。ぬばちやんは優しくて美しくて賢い、最高の猫であつた。そして第二歌輯も「ねこのあたま」となつた。意図した訳ではないが、期せずして猫シリーズ、平仮名シリーズである。(中略)
前歌輯『ぬばたま』では徹頭徹尾旧仮名、旧漢字を貫いたが、『ねこのあたま』では短歌作品とこの跋文は旧仮名、旧漢字。しかし随想とコラムは読み易さを考慮し、新仮名、現用漢字とさせて貰つた。不徹底との誹(そしり)は免れ得ぬが、やはり読者は現代人である。読んで貰はなければ始まらぬのだ。
薄暗き蔵の二階の書斎にて編める歌輯は「ねこのあたま」ぞ
とあった。随想もふんだんに掲載されている。興味ある方は、直接、本集にあたっていただきたい。扉には「母に捧ぐ」の献辞がある。ともあれ、以下に、愚生好みに偏するが、いくつの歌を挙げておきたい。
花散らす雨降りやまぬイースター母の快癒を主に禱(いの)りをり 不可止
吾が着くを待ちたるごとく急變(きふへん)し嵐と共に逝きたまひけり
先に逝きし猫の名を呼び今逝ける母の道案内を頼めり
何となく無性に猫の頭など撫でたくなりぬ独房にゐて
吾がカルマ深しと言はむ独房に夜々少年を抱く夢をみる
会話といふことなき獄の中にゐて主への禱(いの)りも早口になる
囚へられ作り始めしわが短歌一年にして八百首となる
母よりの現金書留届きたり急ぎ独房の湯たんぽ頼む
十階の獄の窓まで連休の午後遊びゐる子らの声する
独房の窓に内鍵が付きてをり吾に唯一自由なる鍵
わが母校のチャペルのパイプオルガンを早く釈放されて弾きたし
病状六尺に歌詠みつぎし子規を思ふ四畳の房にはや二年が過ぎて
祖母の惚けを知らせ来し母の手紙読み春近き獄に心痛みぬ
拘置所内ラヂオ調査のアンケートにクラシック聴きたしと迷はずに書く
プレゼント今年も出来ず独房に妹の誕生日昏れてゆくなり
エロイ・エロイ・レマ・サバクタニ呟きつつなほも救ひを信ず
ポケットのなき囚人服にいつまでも馴染めず両手もてあましをり
東京に大雪降るといふニュース、モンシェールオンクル風邪引くなかれ
*仏語「モンシェールオンクル」(中略)とは石井先生のことである。
能天気に日の丸振りて君が代を歌ふサポーターを忌みサッカーを厭ふ
黙禱など真つ平御免敗戦の日の正午の獄にサイレンを聞く
北夙川不可止(きたしゅくがわ・ふかし) 1964年、兵庫県西宮市生まれ。
撮影・中西ひろ美「堪え難き逆光にして今朝の傷」

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