高屋窓秋「星影を時影として生きてをり」(『高屋窓秋の百句』より)・・


  鴇田智哉著『高屋窓秋の百句/最短詩への表現欲求』(ふらんす堂)、巻末の「高屋窓秋に関する三つのこと――『連作』『中断』『窓秋は俳句をどのように考えていたか』について」の中に、


 (前略)さて、窓秋は「俳句」をどのように考えていたか。ひとことで言うなら、それは「最短詩」であると考えていた。(中略)

 窓秋の言う「最短詩」の定義には、案外とゆとりがある。講演をもとにまとめた「うつくしい言葉」(「俳句研究」一九七七年四月)という文章において窓秋は、「うしろ姿のしぐれて行くか 山頭火」を、「貧しき葬の足早に行く 蕪村」のような七七の句であると指摘したあと、「風立ちぬ いざ 生きめやも」という詩句について、「これは、さらに短く五七です。五二五です。五二五といったほうがいいかもしれません。このようにして考えてゆけば、最短詩表現の領域はかなり広いものであることがわかるし、そして、よい句が多く作られてゆけば、それがそれぞれに定型となる。私は、そうしたこから最短詩表現はすべて定型化する運命を持つと考えるわけで、それを俳句の領域と思うのであります」と述べている。

 実際に窓秋は、自作の「花蔭の妊娠河ひえびえ」を「五・四・二・四」の句(「自註」)と言っているし、「蟻ぺちやんことなる風が吹くから」「石階を 昇る 帝墓の 雲や 虫の木」など、五七五に収まらない韻律の句を多くなしている。(中略)

 窓秋にとって「俳句」とは、「最短詩への表現欲求」であり、それは「俳句」という名称以前のことでもあったのだ。


 とあった。鑑賞の一例を挙げておきたい。


    降る雪が川の中にも不陸られぬ  『白い夏野』

                    昭和八年

 遠い空から落ちてきた雪が、水に触れる。また、水に触れる。そうして、いつか、雪のたどるかこは、川の中にまでいたるようになった。川の面という境目が、外れてしまったのだ。

 この境目は、からだという境目でもあり、心という境目でもある。雪はからだの中に、心の中に、降るのである。すべてが下降線となって昏れてゆく。

 自註には、「川を見ていたのではない。いっさいのものが沈んでゆく『思い』を見ていたのだ」「瞑想的な作り方」と書かれている。


 とあった。ともあれ、本著より、句のみになるが、いくつかを挙げておこう。


  頭の中で白い夏野となつてゐる         窓秋

  山鳩よみればまはりに雪が降る

  河ほとり荒涼と飢ゆ日のながれ

  木の家のさて木枯らしを聞きませう

  鐘が鳴る蝶きて海ががらんどう

  秋風やまた雲とゐる人と鳥

  ひかり野の日にも月にも枯れしかな

  血をたれて鳥の骨ゆくなかぞらに

  一望の いのち流れて 鳥山脈 よ

  蝶ひとつ 人馬は消えて しまひけり

  森すべて息する深さ緑星

  核の冬ひとでの海は病みにけり

  花の悲歌つひに国歌を奏でをり

  さびしさのきのふかまきりけふとんぼ

  

 鴇田智哉(ときた・ともや) 1969年、千葉県生まれ。



        撮影・鈴木純一「枇杷むくや母につたはる塩加減」↑

             611  辰巳浜子    19041977

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