吉野裕之「花の芽とやわらかにいうもう一度そこにあるひかりをさして」(『空耳の街』)・・


  吉野裕之歌集『空耳の街』(六花書林)、帯には、


 二九一首と三句を収録

 町にはさまざまな表情がある。誰かに呼び止められまで、

 誰かに声をかけるまで、新たな風景を探している。


 とあり、著者「あとがき」には、


 この一冊は、ニ〇一〇年から二〇一四年に制作した作品を中心とする二九一首および三句を収めている。『砂丘の魚』(二〇一五年)に接続する作品群であり、年齢としては五十歳前後のもの。しかし、少なからず若い韻律も紛れ込んでいる。(中略)

 私の生まれ育った横浜・根岸は、けっして広くはない範囲に、丘と平地と海が同居している。その日常には、さまざまな時間が降り畳まれていて、そう、空間的にも時間的にも襞があって、ときおり思いがけない表情を見せてくれる。それゆえこどものころから、いや私だけでなく親やその親たちも、空耳を聞いてきたのではなかったか。


 とあった。ともぁれ、本集より、愚生好みに偏するが、いくつかの歌を挙げておきたい。


    男らのさみしき耳や十二月

 夕暮れのまちを渡ってゆく車椅子ありまぼろしではなく       裕之

    東京・赤坂 2012.4.26

 立つたままハンバーガーを花蘇芳

 クレーンに吊り上げられる塊を揺らさぬようにかなかなは鳴く

 だらしなく座っていたる男から流れ出したり新聞の文字

 立冬のひかりの中に立っている土偶のまなこ空/ぼくを見ている

 逃げてゆく愚かなことば ほろほろとキリンと魚の接吻が見ゆ

                     いや、それは違う。

 輪になってグレーのミニの少女たち花のごとしも魚のごとしも

 一時間半の会議に三回の欠伸で済めば水は温(ぬく)めり 

    大夕立かもしれないと立ち上がる

 十薬がひかりの中に群れている夢かもしれぬ九月、白金

 妻とゆく桜の道はほろほろとバスがぼくらを追い抜いてゆく

 ルールと効果——そう語ってはダメなんだ 稲は実りのこうべを垂れて

 この味は蟬退に似ているという声がするおそらくはきみ

    たぶんよかったのだと思う

 合わなければ去ることがよいたとえそれが仕掛けられたることといえども

 将軍という名のサボテンを買った十歳のころ冬が寒かった


 吉野裕之(よしの・ひろゆき) 1961年、神奈川県横浜市生まれ。



       撮影・芽夢野うのき「水無月の川水無月の街の中」↑

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