岡村知昭「今日四月一日昨日羽化ならず」(短詩型文学誌「連衆」105号)・・
短詩型文学誌「連衆」(連衆社)、俳人論に川島由紀子「阿波野青畝と現代俳句」、作家論に谷口愼也「総論『私の中の穴井太』(最終回)、川村蘭太「反復による反転とパラドックスー黒川智子試論ー」、竹本仰「谷口愼也と私の世界㉘」、俳句論の夏木久「ℚ俳句の迷走⑮」、エッセイに羽村美和子「挑む作品引き込む作品」、渤海游「余滴」など。ここでは、谷口愼也の「穴井太論」からを少し紹介しよう。
(前略)句集名(愚生注:『原郷樹林』)は、いわば私の俳句のおもむく地といった、漠たる ユートピアに過ぎない。原生林に入って行くと、雑多な木が思うがままに林立し、下草や腐葉土 には風倒木が横たわっている。その奥には泉が滾々と湧いていて、原郷感を湛えている。
右は穴井太が語る穴井俳句の総論であろう。極めて抽象的な物言いだが、穴井にとってこれは、自分の肌身感覚=具象的な思いであった筈だー「私」はたぶん素足で歩いているのであろう。そして、「原生林」とは目的ではなく、「私」の詩的志向はそのずっと奥にある「原郷感」(ユートピア)への「予感(・・)」である。(中略)
あまたミサイル空の階段見失う
ススメススメ全山枯れて初明り (中略)
そして最後の2句には、社会に絶えず即応して穴井太の感覚が見えてくる。穴井太は、その時々の時代を精いっぱい生きて来た作家であるー繰り返しになるが、その時代を生きつつ、その後に来る時代を予感し、より良き世界を志向し続けた作家であった。かつて私は、初期の『天籟通信』誌で、穴井太の精神を「健全だ」と評したことがあったが、今もその考えに変わりはない。
とあった。ともあれ、本誌より、いくつかの句を以下に挙げておこう。
吐く息をわすれてちぢむ冬銀河 森さかえ
さえずりの真ん中梯子垂れてくる 羽村美和子
顕(た)つことも名前もなくて寒卵 加藤知子
戦争とマリファナのある裏ビデオ 墨海 游
笑い声なく笑う夫婦の凍てる手話 川村蘭太
余ってるなら余生下さい花吹雪 夏木 久
畏友秦夕美氏を思えば
貝やぐら冥府通信着くころか 小倉班女
パトカーもパズルのひとつ春の街 谷口愼也
スノーフレーク泣いている方が良い 籾田ゆうこ
★閑話休題・・八田木枯「汗の馬なほ汗をかくしづかなり」(「八田木枯『汗馬楽鈔』第一句集を読む」)(於:俳句文学館地下ホール・俳人協会春期/鳥居真里子講座)・・
寒梅や鏡老いたる人の家 八田木枯
家ぢゆうの柱の裏の稲光り
雪の鷺抱かれて死ぬこと知らず
洗ひ髪身におぼえなき光ばかり
雪を食むとき全身が捨身となる
炎天の屑屋の声はうしろで消す
屑売りてつつしみぶかく汗拭く妻
吾子も吾も身が指となる雪合戦
外套のままの仮寝に父の霊
人が死にし家にもたれて日向ぼこ
家々に鏡がありていなびかり
八田木枯(はった・こがらし)1925年1月1日~2012年3月19日、享年87.三重県津市生まれ。
撮影・中西ひろ美「五月やや風強き日の昼下り五月生まれの友ひとり逝く」↑




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