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山下光子「空に桜地には名もなき草の花」(立川市シルバー大学「第8回・俳句講座」)・・

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 昨日、4月2日(水)は、立川市シルバー大学・第8回「俳句講座」(於:曙福祉会館)で、近くの高砂公園を巡ってくるという吟行句会だった。一昨日から、降り続いた寒の戻りの雨は、午後になって、ほぼ止むという幸運?だった。  満開になったばかりの桜は、風雨にもびくともせず凛と咲いていた。吟行だから、嘱目吟である。ともあれ、以下に一人一句を挙げておこう。     街路樹の中の一樹の桜かな           中尾淑子     蘖 (ひこばえ) に花の一輪老樹朽つ      古明地昭雄      鳩我に向い真っ直ぐ花の雨           林 良子     咲き誇る染井吉野や養花天          堀江ひで子     花散らし傘に貼りつくハートかな        島田栄子     花冷えやお地蔵さんも手を隠し         原 訓子      花枝垂れ固き蕾に触れもして          大西信子     雨あがりしだれ桜もひとしほに         柳橋一枝     雨にぬれ艶めかしくも咲き誇る         中村宜由     春うらら綿アメ散らし吉野山         小川由美子     風に舞い桜ひらひらここかしこ         手島博美     桜雨深く静かに染み透る           村上たまみ     花冷えや桜も虫もひと休み           山下光子     白木蓮 (もくれん) や天に顔見せよそ見せず   河本和子     足元のに鳩群れ来て春寒し          白鳥美智子     雨上り鳥のさえずり花七分          赤羽富久子    胴吹きの桜雨ふる花の昼            大井恒行  次回は5月7日(水)、兼題は「子」と「憲法記念日」各一句。        撮影・中西ひろ美「どの芽に雨があたって愛されて」↑

野ざらし延男「黒人街狂女が曳きずる半死の亀」(「現代俳句]4月号より)・・

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 「現代俳句」4月号(現代俳句協会)、ブログタイトルにした、野ざらし延男「 黒人街狂女が曳きずる半死の亀 」の句は、おおしろ建「新現代俳句時評/沖縄の黒人街」の文中のもの。それには、  (前略) 一九六一年頃の作品である。野ざらし氏の第一句集『地球の自転』(一九六七年刊)に掲載されている。「序に代えて」を故・金子兜太氏が書いておられる。  実に凄惨な句である。差別された街である「黒人街」を、凌辱されたであろう女性が、胸をはだけスカートも脱ぎ捨て、笑い狂った顔で、「半死の亀」を曳きずり歩く。そんなイメージが湧く。だが、野ざらし氏は、「狂女」は基地権力者の象徴である「米軍」だとする。「半死の亀」は米軍の植民地支配に苦しむ沖縄の姿だという。そう考えると掲句はますまし悲惨な情景が浮かぶ。米兵の母国アメリカは「狂女」である。黒人を差別するだけでなく各国の戦場で住民を虐殺する。過重な基地負担に喘ぐ「半死の亀」を曳きずり晒す。亀はおとなしく従順で、沖縄の人々を思い起こさせる。甲羅には日米政府によって背負わされた基地が重く揺れる。  とある。他の論考では高橋修宏「特集『昭和百年/戦後八十年 今、現代俳句とは何か』/ 現代俳句のハードコア 」も読ませる。 (前略) 杭のごとく     墓     たちならび     打ちこまれ        高柳重信   (中略)  一行目「杭のごとく」という直喩に続く、「墓」、そして「たちならび」、「打ちこまれ」に至って、われわれの目の前に荒涼とした光景のイメージが浮かぶ、この尋常ではない「墓」の景が呼び出すのは、戦場における死者たちの粗末な棒切れのような墓標だ。多行形式のフォルム自体が、恰も戦場での墓標が林立するようにも見えてくる。  しかし現在、そのような「墓」が、ウクライナやガザをはじめ、世界の紛争地帯に増え続けているのではないか。この多行表記による強度と衝迫力を伴って、まざまざと現在を予見するようなリアリティが現前するようだ。  そして、巻頭エッセイともいうべき「直線曲線」は、赤野四羽「 『兜太と龍太』二巨星の光程 」。ともあれ、本誌本号より、いくつかの作品を以下に挙げておこう。    サイネリア待つということきらきらす       鎌倉佐弓    九万秒足らずのの一日鼓草           高野ムツオ    祝婚歌改行し改行し春...

坪内稔典「桜散るあなたも河馬になりなさい」(『河馬100句』より)・・

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  坪内稔典句集『河馬100句』(シンラ 象の森書房)、カバーイラスト・米津イサム/挿絵・内藤美穂。帯には、  ここに100頭の河馬がいる。/面白い河馬、哀しい河馬、おしゃれな河馬、楽しい河馬・・  どれもネンテン先生の起きに入りの河馬である。  とあり、また、「あとがき」には、  (前略) この句集『河馬100句』は、ボクの河馬への思い、あるいは河馬から受けた刺激を起点にして、ボクと河馬のいる風景を五七五の言葉で表現したものだ。別の言い方をすれば、ボクと河馬のいる〈五七五による百枚の絵〉だ。読者の方が気に入りの絵を一枚でも見つけてくれたら作者としてはとても嬉しい。 (中略)   最後になったが、版元の松山たかしさんとは大学時代に知り合った。ボク等は大学生協の食堂の皿洗い仲間だった。その彼を俳句に引きずりこんだのは多分ボクである。彼は広告業界で活躍し、定年退職後に象の森書房を設立した。この書房、俳句専門の出版社ではないが、彼は自身の晩年の仕事としてかなり俳句にのめり込んできているように見える。その彼にあおられるあたちでこの『河馬100句』が実現した。  とあった。ともあれ、本書より、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておきたい。    ツツパッパカバはカバ語を生きて春       稔典    春暁のくるくる動くカバの耳   カバ浮いて春の地球がやや軽い   九月来て固まるものにカバと意地   文旦とカバとあんパンそしてオレ   桜咲くピカソはカバと不和である   カバの目の漆黒が澄む水が澄む   一月のカバ逆立ちをしたいカバ   七月の水のかたまりだろうカバ   河馬のあの一頭がわれ桜散る   河馬へ行くその道々の風車   河馬になる老人が好き秋日和   水中の河馬が燃えます牡丹雪      坪内稔典(つぼうち・ねんてん) 1944年、愛媛県佐田岬半島生まれ。 ★閑話休題・・現代俳句協会青年部第183回勉強会・来る4月5日(土)午後1時~「大井恒行に聞く」・・・ 第183回勉強会 「現代俳句の伴走者 大井恒行氏に聞く」 【企画概要】 現代俳句協会会員・「豈」編集顧問の大井恒行のブログ「大井恒行の日日彼是・続」は、 日本一、二を争う更新頻度と速さで、現代俳句関連書籍を紹介しています。 https://testusuizu.blogspot.com/ そのアーカイブ...

安部いろん「洗はれぬ血の顕れてけうとききやうと」(古典の中の〈今は使われていない、意味が変わっている〉オノマトペ句会)・・

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  3月30日(日)午前11時より、中西ひろ美主催幹事の「古典の中の(今は使われていいない、意味が変わっている)オノマトペ句会」(於:都立 殿ヶ谷庭園内「紅葉亭」)であった。  案内状の「どんな句会か」には、     古典の中には、現在は使われていない擬音語。擬態語(オノマトペ)があります。また、音は同じでも意味が変わっているオノマトぺもあります  今の俳句、連句作者の皆さまだったら古典をどのように作品化俳諧化するでしょう  (中略) 〇句会当日、選句の参考に上記オノマトペの使われている例句をお示しします。幹事出題以外のオノマトペを使って作句された場合は、選句の前に例句を教えてください。   とあった。一人5句出し。一応7句選だが、好きなだけ選んでもいいし、合評最中、もしくは、後出しで選(点)を加えて入れてもいいという句会。  ただし、今回は、選ばれ句の作者は、まず名乗って、その句の作句動機、意味を説明し、その後に、選んだ句についての感想を述べあうという趣向であった。ともあれ、以下に一人一句を挙げておきたい。  なお、阿部いろんの楕円形に表記された句は、どこから読み始めてもよいという句で、高点を獲得したが、楕円形表記は、愚生のブログの技術では無理なので、自由に、切り込んで戻り円環して読んでください。次の句です、「 かはらはらはらうららかみんな済んだ 」。   花ぽつちり命の形欲しがりぬ             小池 舞   ほちほちと寝ねられぬ夜の花の燠           佛渕雀羅    入社式シュレッダーで段段にする           中内火星    春泥にはらはら下す左足              ますだかも    山は二分街は八分の芽むつむつ           中西ひろ美   「死亡事故発生現場」しどろ春             瀬間文乃                   空蝉はこをろこをろと風に鳴る            松本光雄    天井もなくてすぶすぶ壁ばかり            鈴木純一    しどろに眠りつく放棄田のかかし          安部いろん    桃尻のぼくぼくわが身桜東風             大井恒行           撮影・鈴木純一「一本の猫のヒゲからもう一匹」↑

中原道夫「十七年も経つ裕明の草おぼろ」(「銀化」2025年3月号)・・

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 「銀化」3月号(銀化の会)、先般、谷口智行句集『海山』(邑書林)の俳人協会賞受賞お祝いの会(於:京王プラザホテル)の折り、中原道夫に撮っていただいた写真2葉をざわざ送って頂いた。深謝!!同封されていた「銀化」2月号と3月号、先日、俳句文学館で手に取ったとき、巻頭の中原道夫「駄句再再」77句に驚いたばかりだったが、どうやら、毎月77句を発表しているらしい。愚生が発表する10年分くらいの句を、毎月掲載しているのだ。しかも、下段にはエッセイが収められている。その一節に、一時期は「豈」同人であった岸本マチ子について、 (前略) 以前行った時には俳人の岸本マチ子さん(首里金城町に在住)に連絡した処、琉球舞踊付きの酒席の接待を受けたことを思い出した。その岸本マチ子さんが数年前に亡くなっていたということを、最近戴いた大井恒行氏の句集で知った。確か岸本さんは出身は群馬で沖縄へ嫁いだのではなかったか?現代詩もやっていて、30年以上昔、詩人の宋左近さんのやっていた宮城県加美郡中新田の「現代詩の噴火際」で会ったのが、最初だった。  とあった。ともあれ、本誌、本号より、アトランダムになるが、いくつかの句を挙げておこう。    うらにして表に返す落椿              中原道夫    青白き顔して霜夜ともなりぬ            加藤哲也    日の暮を待たぬ独酌年の暮             亀田憲壱    白鳥の闇に紛るる色持たず              菅 敦   魂のかたはれを呼ぶ梟よ              柴田奈美    寝の土をとること頻りきりたんぽ          潮田幸司    猿回し万歳すれば腋さびし             高木宇大    白鳥と白鷺近し無視し合ふ             田口 武    とつくりの首に金継ぎ由紀夫の忌          中村堯子    老犬に足嗅がれゐるクリスマス           橋本喜夫    これしきの葱を袋に立たせ得ず           東 麗子    無口なりお釣りきつちりもろこ売          平石和美    大いなる年の舳先を初日の出           松王かをり    蓮枯れて一望監視施設 (パノプティコン) の遠響   彌栄裕樹    クリスマスソング二人とも曖昧         ...

川崎果連「雛段の裏側にある導火線」(第4回「浜町句会」)・・

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 3月28日(金)は浜町句会(於:人形町区民館)だった。雑詠3句持ち寄り。以下に一人一句を挙げておこう。       連れ添ひてほど良き間合ひ夕桜        宮川 夏    自販機の下に王冠放哉忌           川崎果連    コンテナの四隅に錆の浮く遅日        田島実桐    春愁や豚は老後を気にしない         村上直樹    立ち漕ぎの娘土手ゆく春浅し         石原友夫    鳥帰るガザへ帰れぬパレスチナ        武藤 幹    晴れた朝一年ぶりね山桜           植木紀子    ガザの春断ち切る勇気負の連鎖        杦森松一    切り花の春の祈りを唄ってよ         大井恒行  次回は、6月6日(金)、会場は、あらためて連絡がないときは人形町会館。雑詠3句持ち寄り。 ★閑話休題・・森澤程「いぬふぐり無量無辺の夢のいろ」(「ちょっと立ちどまって」2025.2より)・・ 「ちょっと立ちどまって」は森澤程と津髙里永子のふたりのハガキ通信。   熟年の余寒にバーニャカウダかな       津高里永子     撮影・中西ひろ美「木の花も灯ともし頃を待つ弥生」↑

鈴木六林男「花篝戦争の闇よみがえり」(『暗闇の眼玉 鈴木六林男をめぐる』より)・・

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 高橋修宏著『暗闇の眼玉/鈴木六林男を巡る』(ふらんす堂)、帯文は井口時男、それには、    鈴木六林男は戦場の砲弾の破片を体内に留めたまま「戦後」を生きた。その静謐な抒情、苛烈なリアリズムと社会批判、そして独自の「群作」と「季語情況論」ー戦後俳句に鋭い異和として屹立しつづけた六林男俳句の可能性が、あらたな「戦前」かもしれぬ現在にあざやかに立ち上がる。 とある。また、少し長めの「後記に代えて」には、   本書は、鈴木六林男について二十年余りにわたり書きつづけてきた文章をまとめたものである。そのサブタイトルに「六林男を巡る」としたのは、論考ばかりでなくエッセイのような文章も配しているため、鈴木六林男という表現者をめぐって、たとえば遊歩(ベンヤミン)するようにどこからでも読んでいただければとの思いから付けたものである。 (中略)  「君、六林男の〈暗闇の眼玉濡らさず泳ぐなり〉という俳句があるだろ。俺は、あの句に刺激を受けて〈暗闇の下山くちびるをぶ厚くし〉を作ったんだよ」。 と、語ってくれたのだ。わたし自身「ああ、そうなんですか」ぐらいしか応えられなかったように思う。  ただ兜太氏の率直さに驚くと共に、六林男への友情と競争心を垣間見ることができた一時であった。         *  今日から見れば、同じ「暗闇」という言葉を含んだ二つの俳句は、その後の六林男と兜太を隔てる明らかな相異を見てとることができよう。  とあった。最初の「『戦争・季語・群作』 六林男への序章」の部分に、 (前略) この「季語情況論」こそが、季語のもつ虚構性を梃子として、群作という方法を作品内部から保証するひとつの装置であった。言い換えれば、その時代に通底する〈思想〉を表現するために、群作をヨコ系に、そして「季語情況論」をタテ系とすることで、六林男は俳句形式の新たな遠近法(パースペクティブ〉の獲得をはかったのである。  さらに六林男による群作は、自らの遠祖の地を訪ねる「熊野灘」七十二句(一九八五年)をはじめ、歴史的想像力をも作品に呼びこんだ「足利学校」十四句(二〇〇二年)、「北條」十五句(二〇〇三年)、そして最晩年の大作「近江」三十二句(二〇〇四年)へと結実してゆく。   淡海また器をなせり鯉幟          「近江」   花ユッカ湖のマタイ伝第五章   夏は来ぬ戦傷 (きず) の痛みの堅...