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池田澄子「言論の自由葉を食む虫の自由」(「トイ」ⅤOL.16より)・・

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 「トイ」VOL.16(編集発行人:干場達矢)、樋口由紀子はエッセイ「新種の孤独」に、 〈鉢植えのこれは新種の孤独です  広瀬ちえみ(ひろせ・ちえみ)〉  私も部屋にサンスベリアの鉢植えを置いている。空気が浄化されるらしい。庭のように雑多の樹木のなかに混ざって立っているのではなく、たった一種の、たった数本(枚)の、誰にも邪魔されない、いつ見ても、独りを満喫している堂々たる姿である。それが「新種の孤独」とは思いもよらなかった。作者ならではのウイット感を引き出している。 (中略)   どの言葉とどの言葉をくっけて、並べるか、選択と語順は短詩型文学の肝であり、見せどころである。それによって、抜け落ちるものと生れ出るものがある。「孤独」の孕んでいる切なさ、寂しさ、哀しさをありふれた情緒や抒情に回収しないで、機微を伴って、ナンセンス風に意外性とユーモアに移行させる。結果、デリケートな孤独と向き合うことに成功している。  とあった。ともあれ、本誌よりいくつかの句を挙げておこう。    口笛指笛どれも吹けねど青葦原        池田澄子    満塁のセカンドフライ天高し         仁平 勝    夜の秋「返信不要」に返信す         干場達矢    白服の人と寸志といふを受く         青木空知    学校で習ったことは役に立つ        樋口由紀子 ★閑話休題・・原田陽子「逃水を追って戻らぬガザの子ら」(第43回東京多摩地区現代俳句協会/俳句大会賞より)・・  去る10月13日(月・祝)、立川市子ども未来センターで開催された第43回東京多摩地区現代俳句協会俳句大会作品集が送られてきた。以下に、愚生の選んだ特選句と並選句を挙げておこう。    無言館出てなお無言かなかなかな       戸川 晟    バイク屋にまつ赤なバイク立葵        田口 武    無書店となりタンポポは絮飛ばす       永井 潮    みな笑まふ家族写真やさくらんぼ      秋山ふみ子    ひとりにはできない人と枇杷を剥く      吉田典子    湖までの抜け道風と茂りかな         平井 葵    艶福の翁在りけりかきつばた         淵田芥門    冠木門春たけばはを刈り込んで        広井和之    赤松の淑気みなぎる気比の浜    ...

宇多喜代子「秋風や人類の史は赤子の史」(「noi」vol.6より)・・

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 「noi」vol.6(俳句雑誌noi)、特集は「宇多喜代子」。神野紗希抄出「宇多喜代子40句抄」、総論に田中亜美「赤子はいまも―ー宇多喜代子と昭和・平成・令和」、相子智恵「第一句集『りらの木』評/境界と共存する知性」、小田島渚「第二句集『夏の日』/詩病の表象」、網野月を「第三句集『半島』/客観的形象と内視的再現」、久留島元「第四句集『夏月集』評/熊野の夏」、渡部有紀子「『ひとたばの手紙から―女性俳人の見た戦争と俳句』書評/『当事者』からのまなざし」、野口る理「第五句集『象』評/撃然たる平明」、吉川千早「『女性俳句の光と影』書評/私たちは台所で書いてきた」、樫本由貴「第六句集『記憶』評/肉声の記憶へ」、西山ゆりこ「第七句集『円心』評/水輪を広げる」、横山航路「第八句集『森へ』評/ごまかせない眼への覚悟」、北口直「第九句集』評/当たり前だということ」、加えて神野紗希と宇多喜代子の対談「喜代子という俳句史」。その対談の結びに、 (前略)神野  〈過ぎし日は金色銀色葛湯吹く〉。過去を懐かしく眩しくかえりみています。   宇多  過ぎた日というにおは、輝かしい金やら銀やらの世界であったと思いながら、葛湯をふうふう吹いている。辛いことや苦しいこと、悲しいこともありはしたけれど、人間九十年近くも生きてくると、いろんなことが自分の中で昇華されて、そんなふうに肯定できるようになってくる。  いくだったか、耕衣さんが「歳をとってから、一番助けてくれるのは自分の句だ」と言っていたことがあってね。若いときの自分の句を読んでみると、元気が出てくる。自分の句が自分を一番励ましてくれるって。 神野  宇多さんも、ご自分の句にはげまされますか。 宇多  そうそう。拙い句でも、つまらないと思わずに「こんないい句がある」と思うわけだ。「ヘボだなあ」なんて思わずに「おやおや、いい句詠んでいたじゃないか」と肯定する。そうすると、なんだか力が湧いてくるからね。折々に作った句は、良い句でも悪い句でも、自分の手足、肉体となって生きている。誰に褒めてもらうでもなく、自分の句を自分で褒めてやる。それが、俳句を続けていく力になるからね。  とあった。ともぁれ、以下に本号よりいくつかの句を挙げておこう。    天皇の白髪にこそ夏の月         宇多喜代子     桂信子没    大鷹の空や一期の礼をなす...

佐藤鬼房「星月夜精霊をわがほとりにし」(「小熊座」10月号より)・・

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 「小熊座」10月号(小熊座俳句会)、同号の「鬼房の秀作を読む(182)」に、愚生が寄稿したので、一部を再録しておきたい。  第八句集『何處へ』の帯文に、「『みちのく』と『晩年』の二重奏。管・弦ともに鳴るおもむきがある」と記したのは神田秀夫。「綾取の橋が崩れる雪催」「星飛べり空に淵瀬のあるごとく」などの句が抽かれている。  主宰誌「小熊座」創刊は昭和六十年、鬼房すでに六十六歳。愚生が「十周年記念大会」に、パネリストで招かれた折に、三橋敏雄が祝辞のなかで「主宰誌をもつには歳をとりすぎている。せめてもう少し早く持ってほしかった」というようなことを述べられたのを思い出す。その二次会の席で、俳句を始めたばかりの渡辺誠一郎に初めて会った。 (中略)   最後に鬼房氏にお会いしたのは、忘れもしない攝津幸彦一周忌の偲ぶ会(一九九七年十一月二十九日)に遠路駆けつけてくださった時だ。鬼房七十九歳。深謝の他はない!  本号には、他に小田島渚「俳句時評/表現としての匿名性」がある。それには、   昨年十二月、現代俳句協会青年部勉強会「名付けから始めよう 平成・令和俳句史」がZOOMにて 開催された。(司会黒岩徳将)。平成・令和時代に起こった俳句に関する事象とそれを取り上げたい理由を述べ、名付けをするもので、パネリストの赤野四羽、柳元佑太、岩田奎の回答はごく簡単に要約すると次の杳になる。 (中略)   勉強会に戻ると、岩田は「みんなで新しい月並のリーダーズになろう!」と呼びかけた。「ズ」の複数形は特定の俳人ではなく、遍く届ける声として響いた。「みんな」、そして柳元のいう「ゆるやかなわたしたち」にも、匿名性の志向が感じられる。匿名性は声を解放し、フラット化は関係性を解体する。この二つが交わるところに、現代俳句が果たしうる最も鋭利なレジスタンスがあるのかもしれない。  とあった。その余は、本誌本号に直接当たられたい。ともあれ、本号よりわずかだがいくかの句を挙げておこう。    土食つて生き薔薇色に蚯蚓死す       高野ムツオ    ホモ・サピエンス新酒は舌を濡しては    渡辺誠一郎    ためらひなどなく白桃のかがやきぬ      川口真理    寒蟬のこゑ燎原の火となりて         佐川盟子    反対も涼しスリッパ右ひだり        津髙里永子    生涯の水のぼり...

笹木弘「徴兵が無くても曲がる唐辛子」(第61回府中市民芸術祭 俳句大会・府中市俳句連盟)・・

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               主選者・鳥居真里子↑   第61回府中市民芸術祭 俳句大会/府中市俳句連盟(於:府中市民活動センター・プラッツ)、主選者は鳥居真里子。                              笹木弘・府中市俳句連盟会長↑  市内の部 第一位  徴兵が無くても曲がる唐辛子      笹木 弘       第二位  まだ母に話すことあり茄子の馬     高野芳一       第三位  立秋の風懐に溜めておく        相馬陽子  市外の部 第一位  いつも履く靴が重たい残暑かな     松本秀紀       第二位  芋虫を箸で摘まめばきゆつと鳴き   相馬マサ子  総合    7位  馬こけてどっと歓声村芝居       田頭隆紀        8位  梁に残る繭の匂ひや虫の闇      横山由紀子        9位  木の実落つ示し合はせてゐるごとく   新保徳泰       10位  つないだ手そっと離して曼殊沙華    井上芳子   特別選者陣は、秋尾敏・大井恒行・岡本久一・佐々木いつき・清水和代・田中朋子・野木桃花・星野高士・前田弘・松川洋酔・松澤雅世・本杉康寿・山崎せつ子・吉田功・笹木弘・米山多賀子。第二位のきすげ句会の高野芳一 「まだ母に話すことあり茄子の馬 」の句は、愚生のほかに、田中朋子特選にも入っていた。ちなみに愚生の他の特選句を挙げておくと、    花野かな亡者の垂らす白い帯       村木節子    馬こけてどっと歓声村芝居        田頭隆紀  他の選者の特選のなかにきすげ句会の方が何人かあった。それは、    スマホ充電忘れし夜の螢かな       高野芳一(星野高士選)    つないだ手そっと離して曼殊沙華     井上芳子(岡本久一・前田弘選)    子を連れて野猿の遊ぶ良夜かな      井上治男(吉田功選)    七本の竹二本伐る風の道         寺地千穂(笹木弘選)    鏡花忌の一目会いたいひとがいる     杦森松一(笹木弘選)    夏の娘の見せびらかしたるへそピアス   新宅秀則(米山千賀子選)  ★当日句「席題」の「柿」と「冬支度」の愚生の5句選(内一句特選句)は、    肉親や百夜 (ももよ) を赫き柿吊げて   鳥居真里子(特選)    うつし世の動くものみな冬...

照井三余「われも枯木となりて浸す足」(第73回「ことごと句会」)・・

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   10月18日(土)は第73回「ことごと句会」(於:ルノアール新宿区役所横店)だった。兼題は「宮」。以下に一人一句を挙げておこう。       ののさまは山の峰よりころんと出       金田一剛    どこを攻めに行くのだろう鰯雲        江良純雄    迷宮のさらなる奥の秋時雨          杦森松一   自転車のポツンと一機赤蜻蛉         石原友夫    つまづける檸檬ひとつぶんの寝息       林ひとみ    愛弟子のひとりやふたりきりぎりす      宮澤順子    虫籠に棲みるると泣く君は誰         渡邉樹音   鳴き納む蝉に笑みする野の羅漢        渡辺信子    ご帰宅の猫のしっぽに露ひかる        武藤 幹    菊日和 ドイツ製なるベビーカー      春風亭昇吉    碁仇 (ごかたき) のひょいと現る良夜かな   村上直樹    しづかに汗もまだでる蝸牛          照井三余    撫で回すトルソー無月やりすごす      杉本青三郎    叫び叫ぶいのち尽きるな蓮は花        大井恒行              鈴木純一「暴君は自分の名前だけは書け」↑

中川浩文「生きてかへるいのちや曼殊沙華の道」(「コスモス通信」第80号より)・・

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 「コスモス通信」第80号(発行 妹尾健)、の巻頭は、妹尾健「中川浩文の文学思想についてーその青年期の在り方ー」の中に、  (前略) 中川浩文はこうもいう。「社会性や芸術性を越えるとい矛盾ーそこに介在する矛盾を救ってくれるものを私は惟 (カンガ) えたいのである。」と。多くの人々はそんな立場があるのかと反問するであろう。それが信の立場だとこの真宗人はいうのである。 (中略)   私は一九七〇年の或る研究室での中川浩文との会話を思い出す。私が、  「先生は俳句をどんな基準で評価されますか。」  と質問したとき。  「それは句の中に仏があるかどうかでしょう。」  と中川浩文は答えた。一瞬私は怪訝な表情をしたらしい。  「分からないでか。仏では。いのちといっていいものかもしれない。」  と先生は言い直された。  私はいまでもこの会話を覚えている。宗教と芸術、俳句のことを考えるとき、この会話は 私の中に強いものを与えてくれる。それは文学の意義と表現の本質を示唆するものであったからである。  とある。ブログタイトルにした中川浩文の句「 生きてかへるいのちや曼殊沙華の道 」には、「 復員感懐 」と前書が付されている。  実は愚生は、中川浩文については、忘れられない思い出がある。愚生が京都に居た折(東京に流れる直前、二十歳のころ)、関西学生俳句連盟の句会が行われ、100名近くの参加者があったように記憶しているが(どこで行われたか、忘れている)、愚生は「地底棲む流浪の目玉蟹歩む」の句を出した。結果は誰の選にも入らなかったが、唯一、選者としておられた中川浩文のみが、この句を特選に採ってくれたのだった。  その他の論考に、妹尾健「『谷間の旗』論ー鈴木六林男について③」がある。ともあれ、以下には、妹尾健「猛暑集/ある猛暑の記憶のために」70句からいくつかの句を挙げておこう。    文月のいたるところに喘ぐ声         健    黙礼が別離となって天の川   交配の進めば野菊ではすまぬ   なんとなく力芝には近寄らず   剣呑に返事してまた草取女                                 ...

千葉みずほ「花を持つすこし汚れて長靴は」(「なごや出版情報」第15号より)・・

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  「なごや出版情報」第15号は、東海地区の11社でつくるフリーペーパー。その中に、俳人でもある武馬久仁裕が社主をつとめる黎明書房のページには、「私の出会った東海の秀句②」がある。それには、 (前略)  若き日のヒールの高さ巴里祭    井戸昌子  「若き日の」と、たった五音で、華やかな若き日々への思いを馳せることからこの句は始まります。  思いは高揚し、その高揚感は「ヒールの高さ」へと展開します。  そして、この句の中の人の世界は、一変、甘く悲しく、切ない美しい巴里祭へと変わるのです。  最後に置かれた郷愁を誘う「巴里祭」という言葉がなんとも言えません。 とあり、また、 「黎明俳壇への投句のお願いー全国・海外から投句多数! 投句はお一人二句まで。投句料無量、特選、秀逸、ユウーモア賞、佳作を弊社ホームページと、雑誌『新・黎明俳壇』で発表します。ハガキか、メールで黎明書房内黎明俳壇係あてに投句してください。*詳細は弊社ホームページをご覧ください。   とあった。皆様もどうぞ! ★閑話休題・・ 山川桂子「いつか径(みち)とだえて暮るる花野かな」(第46回「きすげ句会」)・・  10月16日(木)は、第46回「きすげ句会」(於:・府中市生涯学習センター)だった。兼題は「花野」。以下に一人一句を挙げておこう。    大花野母の命日多色刷り           井谷泰彦   幕間の秋思残して空き座敷          杦森松一    矢狭間 (やはざま) に湖風ひとすじ佐和の秋  高野芳一    大花野ありしところに道の駅         山川桂子    コスモスや花の缶詰め缶を開け        濱 筆治    愚図る児を肩車して花野かな         新宅秀則    待ち人よ踏絵のごとき銀杏の実        寺地千穂    やわらかな赤子抱きしめ秋に入る      久保田和代    朝風に心あづけて花野ゆく          中田統子    立ち枯れしむくろ佇む花野かな        清水正之    夕花野涙の積荷ほどかれて          大井恒行   次回は、11月20日(木)は、国分寺駅そばの殿ヶ谷戸公園吟行。次次回、12月18日(木)の兼題は「鍋」。         撮影・中西ひろ美「掴まえたつもりで秋の真ん中に」↑