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江里昭彦「二枚舌だから どこでも舐めてあげる」(「鬣 TATEGAMI」第96号より)・・

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 「鬣 TATEGAMI」第96号(鬣の会)、特集は「江里昭彦の百句を読む」。執筆陣は、江里昭彦「自選百句」、九里順子「『江里昭彦自選百句』―-性という闘いの地点」、後藤貴子「二重底への眼差しを」、外山一機「生を剔抉する指先」。一句鑑賞に池田楠、大橋弘典、佐藤清美、中川伸一郎、西躰かずよし、堀込学、丸山巧、吉野わとすん。  もう一つの特集は「追悼 永井一時」。執筆は西躰かずよし「もう少し頑張れよ、自分。ー永井一時追悼ー」、外山一機「ユーモアの人」と同人による永井一時追悼句。  ここでは「所感 『俳句ユネスコ無形文化遺産』推進の現在を読んで」から、少し紹介しておきたい。まず、西躰かずよし「俳句は文化なのか」には、  俳句を文化の檻に入れてもいいのだろうか。僕は、俳句のユネスコ無形文化遺産への登録(以後、遺産登録と記載)に賛成できない。それは、今を生きる詩としての表現を失いかねないから。言葉の本質を奪われかねないから。俳句は自由なものです。 (中略)  俳句が愛されてきたのは、決して損なわれることのない、ことば本来のちからに拠ります。遺産登録の推進は、俳句をより広くしらしめ後世に伝えていきたいという純粋な思いから生じていると信じたい。けれど漏れはそれは、俳句を詠む僕たち自身が、外部の恩恵にあずかろうと政治の舞台に上って、その権威付けに加わることと何ら変わらないのではないか。 (中略)  俳句の遺産登録を推進している人たちは、それが貴重な文化として認められることを希望している。でも、もしそうならば、詩や思想などあらゆることばは、歴史を負っているという意味で文化遺産としての側面を持っている。ほんとうはことばは自由で、ことばこそ俳句の本質と言えるのに、なぜそれを固定した文化にしようとするのか。   と記され、林桂「俳句ユネスコ文化遺産登録は現代俳句の夢だったろうか」では、  (前略) そもそも有季定型で俳句を詠むことが、平和や環境保持に貢献した歴史を私たちは持っているだろうか。私見だが、むしろ戦中の有季定型は翼賛体勢に与することはあっても、平和に貢献することはなかったのではないか。戦争に何の影響も受けない安全なところに身を置くことで、また翼賛の精神的な支えとなることで。 (中略)  少なくとも私たちは、「俳句」そのものの名誉を第一義に考えるべきだろう。それはここまで多...

攝津幸彦「国家(こっか)よりワタクシ大事(だいじ)さくらんぼ」(『近現代俳句』より)・・

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 小澤實選『近現代俳句』(河出文庫)、解説に小島ゆかり「春の日、そして秋の風」、それには、  (前略) 本書は、各句をわかりやすい口語訳で伝えて作品への扉を開き、ていねいでゆたかな、ときに鋭く深い鑑賞によって作品の奥へと導いてくれる。明治・大正・昭和・平成に活躍した俳人五十人を選び、それぞれの五句を紹介する。どの俳人を選ぶのか、どの作品を選ぶのか、どう鑑賞するのか。それはどんなにか厳しく、そしてどんなにかときめく仕事であったことだろう。  まずは、人選の妙。本書は正岡子規でなく、江戸と明治をつなぐ俳人・井月 (せいげつ) から始まる。    春の日やどの児の顔も墨だらけ      (愚生:漢字のルビは省略)     落栗の座を定めるや窪溜り   稲妻や藻の下闇に魚の影   初雪や小半酒 (こなからざけ) も花ごゝろ   何処やらに鶴 (たず) の声聞く霞かな     (中略)  思い出してほしい。本書の始まりは、江戸と明治をつなぐ俳人・井月の、楽しい春の句であった。そして本書の終りは、早世の現代俳人・田中裕明に、寂しい秋の句。どこを開いてもどこから読んでも、さまざまな味わいがあるが、全体を見渡すとさらに、独自の視点と季節への深い心配りがあることに気づかされる。近・現代俳句の作品群と同様、読むほどに芳潤で奥深い、見事な一冊と思う。  とある。また小澤實の「文庫版あとがき」には、    元版を刊行してから、いつの間にか九年の月日が経過していることに驚く。ただ、あらためて読みかえしても、ぼくの中でこの人選と俳句の選は古びていなかった。 (中略)   元版には、詩、短歌とともに俳句が掲載されていたが、今回は俳句だけを独立させてもらった。俳句という詩形はしっかりと独立して立っている。しかし、詩、短歌とともにあることで、俳句という詩形の特性はより明らかに際立つという点もあると思う。 (中略)   『近現代俳句』と並べて、いずれ『近現代詩』『近現代短歌』も読んでほしい、ということである。  今年、ぼくの主宰する俳句結社「澤」が創刊二十五周年を迎えた。本書をその記念出版としたい。  とあった。ともあれ、本書中より、いくつかの句を挙げておこう。    葉桜や人に知られぬ昼あそび           永井荷風    うしろすがたのしぐれてゆくか         種田山頭火   ...

森須蘭「入道雲の余白自転車こいでいる」(自由句会誌「祭演」72号より)・・

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  自由句会誌「祭演」72号(ムニ出版)、本号は、創刊225周年記念合同句集である。各人30句とミニエッセイ。萩山栄一は、   (前略) 「祭演」の特徴は現代語俳句を徹底しながら、ポエムをおろそかにしていない点である。  私は現代の趨勢に不満を持っている。古典語有季定型を疑う事もなく崇拝している輩に対してである。これからも蘭さんにはアンチテーゼを突きつけてほしい。  とあった。ともあれ、本誌本号よりいくつかの句を挙げておこう。    能登死ぬな河津桜は満開に         東 國人    逃げられるだろうか日記の春を焼く     伊東裕起   回春堂薬局を出て冴返る          金子泉美    この世から身震いをして卒業す       金子 嵩    押し出しの四球で終わる油照        川崎果連    浜風を詩人が売って無人駅         髙坂明良    目交ひに廃炉のありぬ潮干狩り       鈴木三山    余白これ料紙の中の花ふぶき        諏訪洋子    遠く来て水たっぷりと墓洗ふ        髙橋保博    さくらさくらとみんなはなれてゆきました  田中信克    星落ちて朝顔に血のかよいだす       塚本洋子    西は戦争東に共同募金           中内火星    千代に八千代にかまぼこ兵舎かぎとゐぬ   中尾美琳   法師蟬有給休暇最終日           成宮 颯    僕の影から夜がにじみ出てくる       萩山栄一   木犀の気流に乗れば会えますか       服部修一   十字架をゼロとラムネに割るならば    浜脇不如帰   処方箋は月の渚を歩くこと         水口圭子   ベランダに打ち水パートは休みです     宮原 純   冬銀河 シーラカンスひらっ太古から   わたなべ柊      令和5年3月25日   骨壺に入りきらない春の山         森須 蘭 ★閑話休題・・美輪明宏『戦争と平和 愛のメッセージ』(岩波書店)・・  美輪明宏著『戦争と平和 愛のメッセージ』(岩波書店)の冒頭と、結びはこうだ。  戦争とは、/あなたの愛する人が/死ぬ/ということです。 (中略)   もう一度、考えてみて下さい。/明日、自分が、/戦争に行くことになったら、  どうしますか?    美輪明宏(みわ・...

原満三寿「俳騒の径にかえらぬ翳たずね」(『俳騒(はいざい)の径(みち)』)・・

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  原満三寿第12句集『俳騒(はいざい)の径(みち)』(私家版)、表紙装画は日和崎尊夫「花」。句作品以外は、なにもないシンプルな句集。添えられた便りには、 (前略) この夏は書斎で烏瓜の花を咲かせることに成功。その妖しい美しさに喝采いたしました。また「自発的隷従」(お役に立ちますぜ)という言葉を知り、その宿痾を深く考えさせられました。  このたびは、かような佇まいの冊子句集をお届けするご無礼をお許し下さい。  小生も寄る年波となり、生の感情も懐もいささか寂しくなりました。そこで、ご縁のある俳人様だけに献本することとし、希少部数。簡易印刷の私家版の句集といたしました。  とあった。本集の章立ては「孤蝶の骨」「老鬼の始末」の二章。ともあれ、愚生好みに偏するが、以下にいくつかの句を挙げておこう。    山椒魚 (はんざき) の咬傷のこと他言せず     満三寿    俳騒のデジャ-ビュの径の老いたハグ   黒猫を抱いた麗子の古代微笑      *青年のころ岸田麗子さんに数度お会いした。   お地蔵のおつむにトンボ 逢いたいさ      修辞師の月光荘に開かずの間   浮雲や生はポロッで死はコロッ   震災の後にも先にも蠅つるむ   枕辺の屍蝋に舌さす蝶の群   かの春の裸灯がみえる老の春   死匠いわく地球 (ぢだま) の宴もお開きだあ   謝罪なき神々も群れピカドン忌   半島の木枯らしに聴く震災禍   核災や合掌の象 (かたち) に被曝蝶   あかつきへ八分の鬼児 泣かず佇つ      *八分=村八分  原満三寿(はら・まさじ) 1940年、北海道夕張市生まれ。  ★閑話休題・・黒古一夫・清水博義編原爆写真『ノーモア ヒロシマ・ナガサキ』(日本図書センター)・・  黒古一夫・清水博義編原爆写真『ノーモア ヒロシマ・ナガサキ』(日本図書センター・2005年刊)。英語部分翻訳者はジェームス・ドーシー。「被曝を超えて、いま」の執筆者は山岡ミチコさん「原爆乙女と呼ばれて」、谷口稜嘩さん「生ある限り」。その他」「外国人被爆者」には広河隆一「広島を何度も歩いた」、「核なき世界を求めて」には、松谷みよ子「もう一つの福竜丸のこと」など。        撮影・中西ひろ美「はなびらの変な感じの痛みかな」↑

佐藤順子「岡本太郎の目玉見に行く大暑かな」(『浦賀水道』)・・

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 佐藤順子第一句集『浦賀水道』(ふらんす堂)、序は藤本美和子、それには、   本書の「Ⅰ 料峭」の平成四年から「Ⅲ 良夜」の平成二十六年四月までは前主宰綾部仁喜の選を経た作品である。 (中略)  小誌「泉」hさ石田波郷の唱導した「韻文精神」を掲げ、型、切れ、季語遣いなど俳句の固有性をもっとも大切にしている。  そのような傾向にあって、自身の思いをストレートに述べ、字余りの手法に託した順子句は少々異色で他の作品を圧倒していた。当然ながら、岡本太郎の名前を上五に据えた大胆な一句が巻頭を飾ったことはいうまでもない。同時に私が佐藤順子という作家に注目するきっかけともなった作品である。 とあり、著者「あとがき」には、   八十四歳にして大腸癌を除去しました。何年か生き長らえたことを思い句集作りを思い立ちました。(中略)又東北の地から出て来て此処浦賀に住み着き、朝に夕に接してきた浦賀水道を句集名に出来たのも嬉しいことです。  とあった。その浦賀水道を詠み込んだ句は、       三浦   浦賀水道混み合つてゐる干し大根        順子   浦賀水道西日の船を繰り出して   魚跳んで浦賀水道秋夕焼  である。ともあれ、愚生好みに偏するが、以下にいくつかの句を挙げておきたい。   枯蘆の終の靡きとなりにけり   遠く向き合ふサッカーゴール紅蜀葵   蛭蓆ひそひそ声をうちかむり   讃美歌の木立越しなる冷し馬   烏賊の背にむらさき走る涅槃吹   銅壺屋のゐざり働き日詰まる   なかなかな隠れごころに田芹摘む   池波にして高波の浮巣かな   しみじみと黒を尽して秋の蝶   みじろぎてみ空の色の冬の蝶   夜上がりの空の凌霄かづらかな   何を蒔きたる足跡ぞ秋の風   籠居を決めて八月十五日   一陽来復ひあはひを来る日の光  佐藤順子(さとう・じゅんこ) 昭和14年6月、宮城県生まれ。             撮影・鈴木純一「知らぬまに秋の陽当る更地かな」↑

木村内子「でで虫の白杖めける角二本」(『金平糖』)・・

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 木村内子第一句集『金平糖』(ふらんす堂)、津久井紀代の跋には、     初夢や俳句の神様舞ひ降りる  初夢が正夢になったのが木村内子さんの第一句集『金平糖』である。『金平糖』は眼科医から「詩」を究められた一人の女性の物語である。神様が舞い降りるのだという空想的童話的発想は内子さんの屈託のないお人柄によるものである。  とあり、宮原榮子の跋には、   私はあとがきある笹倉淑子さんが、高校、大学を通しての親友という関係で、木村眼科を紹介され、内子先生とのおつきあいが始まりました。患者としての第一印象として、先生はさっぱりとした気質で、応答が的確で速く、すっかり親近感を覚えたのを思い出します。 (中略)   亦、諧謔味のある句にも内子さんのさばさばした気質があらわれています。例えば    啓蟄やわれ吟行か徘徊か    鰯引く雑魚は持つてけ子の駄賃    戯言のひとつやふたつ衣被    熱燗や嘘のひとつも上手くなり  そして突然の病にかかられても    ふと触れし乳のしこりや青嵐  と冷静に詠まれ、驚きつつも強く生きる姿が見えます。 とあった。著者「あとがき」には、 (前略) 京都に住む友人の女医が亭主をつとめる茶会で、京都緑寿庵清水の金平糖が良く出る。ここの金平糖はエアコンの無い工房で、人間より大きな窯で手仕事で砂糖を溶かした窯に付きっきりでかき混ぜ、二十日間かけて出来上がるという。寺田寅彦が金平糖のツノを不思議に思い数々の実験をしたという話も面白い。〈春を呼ぶ金平糖とお薄かな〉から、句集名を「金平糖」とした。 とある。ともあれ、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておこう。」       送り火の消えて小さき闇生るる        内子    袋入りの七草にして粥香る   ひたすらに医の道を来て冬支度   枯れてなほ借景となす葦の原   おおらかにうたた寝めける寝釈迦かな   来し方行く末よろづおぼろの柚子湯かな   柿ならば熟柿が好きと言ひし妣   重陽の日の菊坂を上がりけり   そよごの実揺れて小鳥の耳飾り   大津絵の鬼も仏も日向ぼこ   鰯雲大門火消し「め組」の碑   角が立つ智は衰へて漱石忌   悲しみは悲しみのまま浮いてこい   戦下なる少女に遠き聖樹の灯   白紫陽花島津別邸岩襖   朝顔や明日咲くことを疑はず  木村内子(きむら・ちかこ) 1...

穴井太「吉良常と名付けし鶏は孤独らし」(「ペガサス」第23号より)・・

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  「ペガサス」第23号(代表・羽村美和子)、第23号作品評「鳥観図」に外部から江里昭彦が執筆している。興味深ったのは「雑考つれづれ」の連載記事、きなこ「原郷樹林逍遥…穴井太の俳句⓵」である。その結びに、 (前略) ぼくは今後も俳句によって「より良き生き方を求め」続々句集を刊行したいと考えている。 穴井太の俳句人生は始まったばかりである。  (次号へ)  と書かれているように、これからが楽しみである。これから登場するであろう上野英信などとの筑豊ぶんこで、あるいは山福康政などとの交流も描かれるにちがいない。  ともあれ、本誌本号より、いくつかの句を挙げておこう。   つま先を月に合わせる夏至の客        F よしと    竹皮をへらりと脱いで明日へ飛べ         きなこ    春巻きの皮がパリッと響き夏          木下小町    金魚玉客引かぬ遊女のあぶく          坂本眞紅    スーパームーンあの日の海を操って       篠田京子   刃物から夕立の匂い拭き取りぬ        瀬戸優理子    永劫の戦後に咲けり月桃花           高畠葉子    陽炎のたまに行き交う交差点          田中 勲   ミサイルの飛び交う夜の星赤し         中村冬美    戦前が触手を伸ばす水海月          羽村美和子    ネモフィラの丘の天辺人消える         水口圭子    夏の星そろそろ千になる折鶴          陸野良美    向日葵や向きは何時でもかえられる       浅野文子    風よ風卒業という風よ風            東 國人    吉原は北枕なく青時雨             石井恭平    いけずな春たちの忘れ物を拾う         石井美髯    旧型のセスナ機遠し雲の峰          伊藤左知子    桜坂 吾子の心音聞こえた日         伊与田すみ    遠花火都市間バスの休憩地           及川和弘    鳴ききった八日目の蝉ケ・セラ・セラ     本吉万千子    巻き尺のもどる早さよ木の芽風        山﨑加津子         撮影・中西ひろ美「今生の夏の終りの雌蕊かな」↑