正岡子規「柿くはゞや鬼の泣く詩を作らばや」(『新選 正岡子規俳句集』より)・・


  復本一郎選『新選 正岡子規俳句集』(岩波文庫)、「はじめに」には、


(前略)「花鳥諷詠真骨頂漢」(川端茅舎『華厳』序)との言葉を残している高浜虚子は、岩波文庫の一冊として『子規句集』を編み、二万句の中から二三〇六句を選んでいる。「花鳥諷詠」を唱えた虚子の選句眼が隅々まで窺(うかが)える句集である。が、為に、もう一人の子規の愛弟子佐藤紅緑が「余の初めて俳句を学ぶに第一に注入せられたのは滑稽思想」だというところの「滑稽」俳句をはじめとして、子規俳句の持っている多様な面白さが十全に伝えられていない憾(うら)みがあるようにも思われる。(中略)

 虚子は、四季、季題ということに着目しての配列、構成によって一書にまとめているが、本書では一五八三句を、「女性」「新事物」「生活」「写生」の五つの視点によって分類してみた。それによって、四季、季題別の視点では見えなかった子規句の別種の魅力が自ずから浮かび上がってくるのではないかと思われる。(中略)

 これも子規庵保存会によってニ〇二四年(令和六年)に報告された一八九九年(明治三十年)の「歳旦帳」の中に、

  はひおりて病床の側の御慶哉

の新出句が見えることが報告された。

 また、最近では、謡曲「班女」を踏まえての

  狂女持つ冬の扇や桜の画(え) 

 の句が書かれた子規自筆短冊の存在も報告されている。 (中略)

 その子規に、なぜ今日尚、折りに触れて新出句が出現するのであろうか。右に示しただけでも九句。『なじみ集』は別として、他はあるいは「歳旦帳」に、あるいは短冊に記されたものであった。ということは、いずれもが即興的であり、待った無しで臨機応変に作られたものであり、俳句帳に転記する遑(いとま)もないうちについつい失念してしまったということだったのではなかろうか。


 とあった。ともぁれ、本書より、いくつかの句を挙げておこう。


  馬土(まど)一人人馬にひかるゝかれ野哉(かな)  子規

  しににいくためにめしくふこじき哉

  寝後れて新年の鐘を聞きにけり

  初夢や巨燵ぶとんの暖まり

    古白の女人形に題す

  汗かゝぬ女の肌の涼しさよ

    傾城の文書くかたに

  夏瘦を見せまゐらせ度(たく)候かしく

  女にも生れて見たき踊哉(かな)

  青梅や妾孕みし上根岸

  二階には牡丹生けたり姉の部屋

  時鳥上野を戻る汽車の音

  天の川凌雲閣にもたれけり

  雲の峰凌雲閣に並びけり

    我境涯は

  萩咲て家賃五円の家に住む

    訪愚庵

  浄林の釜にむかしを時雨けり

  その人の足あとふめば風薫る

  ねころんで書(ふみ)よむ人や春の草

  寝どころも無賤が家の蚕棚(こだな)かな

    病中

  一枝は薬の瓶に梅の花

    六月廿日大地震

  地震(なゐふり)て大地のさける暑かな

    祝「ほとゝぎす」発刊

  新年や鶯ないてほとゝぎす

  小男鹿の尻声きゆるあらし哉(かな)

    中野逍遥を悼む

  いたづらに牡丹の花の崩れけり


 復本一郎(ふくもと・いちろう) 1943年、愛媛県生まれ。



撮影・中西ひろ美「晴野にて一目千本仏の座」↑

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