筑紫磐井「二位どのが田鶴(たづ)ゑがかせし屏風かな」(「翻車魚」vol.9・小蟻喰号より)・・
「翻車魚」vol.9・小蟻喰号(走鳥堂)、「翻車魚」は佐藤文香・関悦史・高山れおな三人の同人誌。本号の巻頭作品のゲストは生駒大祐、佐藤文香との詩と俳句の異種共作。。ここでは、高山れおな「筑紫磐井の百句(未完・全文とはじめの十句)」から、短い鑑賞文の句のみを紹介する。末尾の高山記に「『翻車魚』第七号に掲載した『澤好摩の百句』、第八号掲載の『高橋龍の百句』に続いて本稿を計画しましたが、生業の方の見通しが狂い、いったん執筆を中止せざるを得ません。続きは一年後に出るであろう第十号をお待ちください」とあった。他に、エッセイの関悦史「坂の上の大学における雰囲気学シンポジウムについて」がある。
(前略)今春、五冊目の句集『百題稽古』を刊行したが、同書の収録作品を作る際には、なぜか星野石雀の『薔薇館』の参照率が高かった。(中略)
一方、『百題稽古』という句集の性格からして、参照するのが自然のようでありながら、どういうわけか読み返すのを避けていた本もある。それがつまり、本稿の主たる対象となる筑紫磐井の『野干』『婆伽梵』で、この両著と『百題稽古』は王朝趣味を共有している。もちろん、その志向の作品としての現われ方は大きく違ってもいて、『野干』『婆伽梵』が王朝の幻想(後者はさらに中世・近世・大日本帝国時代へと取材の範囲を広げているが)をそれ自体を完結した形で描きだそうとしているのに対して、『百題稽古』では王朝趣味が貫徹しているのは百首歌の組題に基づく、題詠という形式性の方で、個々の俳句作品における王朝趣味の表出の仕方は一定しておらず、むしろ少なくない場合において王朝幻想の当世風俗化が図られている。話がやや大袈裟になるのを許してもらうなら、『野干』『婆伽梵』の世界がさながら冷泉為恭(ためちか)の復古大和絵や前田青邨の歴史画に類するのに対し、『百題稽古』がめざしたところは浮世絵師たちによる伊勢や源氏の見立て風俗図でなければ、山口晃のレトロフューチャー合戦図・都市鳥瞰図のようなものかと思う。(中略)
風薫る伊勢へまゐれとみことのり 10
伊勢神宮への公卿勅使(くぎょうちょくし)の発遣を詠む。わざわざ京から公卿(三位または参議以上の上級貴族)を派遣して奉して奉幣し、祈願するものであるから、イコール国家の一大事の出来(しゅったい)を意味する。伊勢に「風薫る」と冠するのは、伊勢の枕詞である「神風」を季節の言葉にて転じたもので、軽妙的確なアレンジであろう。国家の大事の発生という背景と「風薫る伊勢」という麗しく朗らかなヴィジョンのギャップも面白い。
とあった。ともあれ、以下に本誌よりいくつかの句を挙げておこう。
(前略)天の川あなたの夢の中であなた
ある日ある夜縦に流るる天の川
手を握ることも銀河の端と端 生駒大祐
星間のちりぢりのまたたきを
老いた蝦蟇口に集めて
祈りの台詞を飲み干すまでは
そちらから見えなくならないところにいる 佐藤文香
自動翻訳トラブルにより秋の声 関 悦史
「ねぎし」があれば入る、いつでもどこでも
麦とろを金砂(きんしゃ)と思ひ啜りけり 高山れおな
斑鳩や無名のみづの通ふなる 佐藤文香
撮影・中西ひろ美「輪飾りを外して今日の寒気かな」↑

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