安井浩司「冬青空泛かぶ総序の鷹ひとつ」(『俳句の水脈を探る/平成・零羽に逝った俳人』より)・・
角谷昌子著『俳句の水脈を探る/平成・令和に逝った俳人たち』(ふらんす堂)、帯の背には「37名の俳人名句と境涯」とある。収録された俳人と( )内は、その俳人について角谷昌子よりインタビューされた人)。
阿波野青畝(森田純一郎)、右城墓石(谷口智行)、瀧春一(亀田虎童子)、山口誓子(名村早智子)、百合山羽公(橋本榮治)、加藤楸邨(中村和弘)、殿村菟絲子(和田順子)、高田窓秋(大井恒行)、小松崎爽青(大竹多可志)、皆川盤水(蟇目良雨)、松崎鉄之介(太田土男)、馬場移公子(中嶋鬼谷)、沢木欣一(檜山哲彦)、高島茂(ねじめ正一)、眞鍋呉夫(二ノ宮一雄)、古舘曹人(染谷秀雄)、成田千空(横澤放川)、清崎敏郎(鈴木貞雄)、深見けん二(山田閏子)、鷲谷七菜子(津川絵理子)、波多野爽波(岸本尚毅)、小川濤美子(小川晴子)、丸山海道(鈴鹿呂仁)、星野麥丘人(鈴木しげを)、成瀬櫻桃子(鈴木直充)、福田甲子雄(井上康明)、岡本眸(仲村青彦)、今井杏太郎(鴇田智哉)、加藤郁乎(坂口昌弘)、廣瀬直人(廣瀬町子)、大峰あきら(中村雅樹)、有馬朗人(西村我尼吾)、稲畑汀子(稲畑廣太郎)、鍵和田秞子(横澤放川)、安井浩司(酒巻栄一郎)、黒田杏子(髙田正子)、鷹羽狩行(インタビュウなし。ただ、氏は愚生を、今は退会した日本文藝家協会会員に、かつて佐佐木幸綱と共に推薦して下さったのを思いだす)。愚生にも、出会った様々な俳人を思い出させていただいたが、ここでは、安井浩司の酒巻栄一郎の部分「安井浩司との出会い」を紹介しよう。
およそ己を語ることに一際頑迷であった浩司だが、生前に依頼された蔵書整理のため、没後、自分が、浩司の秋田の自宅を二度訪ねた折に、自筆年譜(『安井浩司読本Ⅰ 安井浩司による安井浩司』)を見つけた。この発見によって浩司との出会いが昭和四十年『一九七三)晩秋だったことを確認した。同年、金子弘保を中心とした「お浩司唐門会」が発足。以後、半世紀、その詩人としての風貌、風姿をしっかり胸に刻んだというほか、会話の内容は覚えがない。(中略)
制作が徹底した個、さらに孤の作業である。かつて浩司は「俳句は“人払い“の文学」(「一句の背景」『もどき招魂』)と語った。併せて俳句的栄耀を望まないこと。まして商業誌での栄達は、本来の自己表現とは全く無関係であるとも。俳句作品の内実に、個と孤の相関による言語の絶対値を基軸せよと。〈逃げよ母かの神殿の歌留多取り〉(『青年経』)の逃走から逃亡への頓呼から浩司の俳句が始まる。かの神殿の神託、その遊戯から。
とある。また、著者「あとがき」のなかに、
(前略)昭和五十八年に六十歳で没した重信は、生前、「いかなる作家も、語り部をもたなければ、忘却の彼方に消えゆく運命にある」と言っていたという(『高柳重信読本』角川学芸出版)。(中略)
だが、俳壇においては、年月を経るうちにその人物像や作品の評価がうすれてしまう俳人も多いのではなかろうか。そこで、俳壇史に足跡を残した俳人について、微力ながらその業績と作品を書き残したいと思った。そのきっかけは、作品が放つ光や俳句に注ぐ情熱に心が動かされたからである。
とあった。ともあれ、本誌より、いくつかの句を挙げておきたい。
ひとの陰(ほと)玉とぞしづむ初湯かな 阿波野青畝
白鳥のごときダンサー火事を見て 百合山羽公
ひかりさへ氷晶となり草絶えたり 高屋窓秋
妻急変冬木一列帰路一途 松崎鉄之介
しいんと灼け鏡太郎忌の気球浮く 髙島 茂
戦死馬は枯木の空を駆けのぼる 眞鍋呉夫
雪折の音や逢瀬は一度きり 波多野爽波
わが額に師の掌おかるる小春かな 福田甲子雄
小火と云ふいはゞ現代俳句かな 加藤郁乎
光堂より一筋の雪解水 有馬朗人
落椿とはとつぜんに華やげる 稲畑汀子
太陽がものの始まり雑煮椀 鍵和田秞子
ガンジスに身を沈めたる初日かな 黒田杏子
みちのくの星入り氷柱吾に呉れよ 鷹羽狩行
角谷昌子(かくたに・まさこ) 1954年、東京都生まれ。
撮影・中西ひろ美「年の瀬を渡るになにが入り用か」↑

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