広井和之「百歳まで糸瓜垂らしてみたいかな」(『覆水』)・・

 

 広井和之第二句集『覆水』(四季書房)、序は松澤雅世、それには、


 この度の第二句集の命名となった『覆水』は、平成二十八年作、

   覆水を返してやろう十月に

 より採用された集名です。

 俳句手法の一つに、既成概念よりいかに離れるか。という重要な技があります。概念を外れることは、詩的飛躍・昇華をもたらし、作家詩想・昇華をもたらし、作家詩想が露われます。『覆水』の作は、まぎれもない氏の詩魂の真骨頂と言えましょう。

 俳句は「片端」の詩型。虚構の視線は詩の真実を描き出し、俳句表現領域を無限に拡げてくれます。和之氏の諦観は、孤高の無二の世界をあ創出し得ております。


 とあった。また、著者「あとがき」には、


(前略)地球生態系、公共的なものと人間へのケアが壊されてきている。コロナ禍もその現われであった。私を俳句に導いてくれた岳父の故山口文一は終末医療病院で、「戦争は絶対だめだ」とうめくように話してくれた。

 この転機に、わが俳句の旗印を見つめ直してみようと思い立った。俳句は世界最短の詩である。そのため、鶴見俊輔氏が指摘されたように、却ってインスピレーションで世界の人々と感応できる可能性がある。しかし、五ー七ー五の俳句は、その短さから具体的な表現には限りがあり、抽象的な言葉を使わざるを得ない宿命を負っている。(中略)俳句において心象を造型する言葉のリアルへの接地について考えさせられた。このことは身体をもたない人工知能AIにはできないことなのである。


 とあった。ともあれ、以下に、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておこう。


  枯葉舞ふたくさんの骨遊ばせて       和之

  仙人の次にいただく蕗の薹

  別れの言葉それぞれの春嵐

  日常を續けるために風の蜂

  今生の小春日信じていいのかな

  落ち薔薇に太陽神話集めたる

  冬雲雀空に沈めておくがいい

  崖つぷちにいつもあるやう鉄砲百合

  黄落へ神はブランコ一つ突く

  冴え返るかきらめぬやう右頬を

  終戦日征きて帰らぬ馬は碑に

  霜柱地球支えるには脆し


 広井和之(ひろい・かずゆき) 1946年、兵庫県生まれ。



★閑話休題・・大井恒行「原子炉に咲く必ずの夏の花」(「河北新報」’25年5月30日)・・


 過日、11月3日の現代俳句協会全国俳句大会の折に、永瀬十悟の河北新報「秀句の泉」に愚生の句を挙げていただいたコピーをわざわざ持参され、渡していただいたのだ。そのコラムを紹介しておきたい。


  原子炉に咲く必ずの夏の花

 「原子炉」は原発や過去の事故を想起させる。「夏の花」は読む人の想像力に訴えるが、sる人は原発事故後に放射性物質を吸収すると植えられたヒマワリを思うかもしれない。しかし、「咲く必ずの」が不穏な響きを持つのは、原子炉が必然的に核の危険性を内包しているからだろう。「夏の花」は原民喜の原爆小説を連想させ、戦争や核の危機を呼び覚ます。この句は、私たちの豊かな生活を支える技術が秘めた、潜在的なリスクに対する警鐘を鳴らす。句集『水月伝』より。(永瀬十悟)



        鈴木純一「肉にいて肉にをはなるゝ秋思かな」↑

コメント

このブログの人気の投稿

田中裕明「雪舟は多く残らず秋蛍」(『田中裕明の百句』より)・・

秦夕美「また雪の闇へくり出す言葉かな」(第4次「豈」通巻67号より)・・

渡辺信子「ランウェイのごとく歩けば春の土手」(第47回・切手×郵便切手「ことごと句会」)・・