関根道豊「コスモスも吾も死刑の反対派」(『施無畏』)・・


   関根道豊第3句集『施無畏』(牛歩書屋)、その「あとがき」に、


(前略)この3年は、『三年』のあとがきに記した二つのテーマ詠「東日本大震災と福島第一原発事故」「辺野古の新基地建設反対」に加え、「気候危機」と「核兵器の廃絶」が詠むべき重い課題として私の貧しい詩嚢を膨らませ続けた。(中略)

 句集名は、〈人間の印は施無畏や風薫る〉から採った。故あって得度をしたが僧侶にはなれなかった。しかし「菩薩(求道者)が衆生の畏れの心を取り去って救う」という印(右手の5指を揃えて、手のひらを前にに向けて、肩の上に上げる)は、武器を持たない丸腰にお、人間本来の施しの姿である。打たれても打ち返さない、相手を信じて信じ抜く、という覚悟の印でる。(中略)

 私の「日々の生活の中で出合う感動や疑問を五七五の韻文に記録し己と時代を見つめる」俳句への、大牧広先生の「地球上に何が起きているか、しなやかな詩精神で詠む」指導は、ときに警策のごとく、熱く打つのである。


 とあった。 ともあれ、本集より、愚生好みに偏するが、いくつかの句うぇお挙げておこう。


    八月二十五日~二十八日 名古屋

  再開の不自由展や白芙蓉         道豊

    学術会議任命拒否二年

  学問は非戦もみぢは楓なり

    二月二十四日 抵抗一年のウクライナ

  青麦を踏みしだき征くレオパルト

  翼賛の声の混じりし青葉騒

    広島G7サミット

  核ボタンたづさへ集ふ五月かな

  信州は雪さいたまは雪催

  セシウムの潮吹いてゐる鯨かな

  日記買ふ戦なき世を書くために

  停戦なき灰燼の街年明くる 

  わが命はげます師あり穀雨かな

  瓜の馬若き父と老いし母と

  立冬の廃炉へデブリひとつまみ

    3の日行動 澤地久枝(94)

  三日はや国会前に久枝立つ

  戦争の対義は対話さへづれり

    読谷村強制集団死

  伝へてよ四月二日のチビチリガマ

    七月七日 日中戦争八十八年

  小暑けふ軍靴渡りし盧溝橋


 関根道豊(せきね・どうほう) 1949年、埼玉生まれ。 



       
撮影・芽夢野うのき「島ひとつ咲く紅葉して芭蕉の忌」↑

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