井口時男「考へる人に踏まれて赤まんま」(『燃えるキリン/乱調泰西美術史初学篇』)・・

 


 井口時男句集『燃えるキリン/乱調泰西美術史初学篇』(深夜叢書社)、その帯に、


  西洋美術が俳句になった!

 「美は人を沈黙させる」が、沈黙の中に無数の言葉がざわめいている―ー

 句を読んで楽しく、推理して楽しく、注釈を見てまた楽しい、

 一読三嘆、瞠目の新句集


 とある。著者「あとがき」には、


(前略)作り始めたのはニ〇ニ〇年七月。コロナ禍で逼塞を余儀なくされた所在なさに、ネット画面で「美術鑑賞」し始めたのだ。なるほど「美は人を沈黙させる」(小林秀雄「モーツァルト」)。しかし、沈黙の中には無数の言葉がざわめいている、と反転するのが私の方法だ。私はむしろ、そのざわめきの方に耳を傾けようと努めたのである。(中略)

 むろん「遊び」だ。だが、「真剣な遊び」である。俳諧の根底に「遊び」があるのは周知のことだが、そもそも、ホイジンガのいうホモ・ルーデンス(遊ぶ人)たる人間の文化は「遊び」から生れるのだ。

 遊びにはルールが必要だ。ルールは二つ。

 一つ、有季定型とすること。 

 二つ、作品や作家を示唆するヒントを必ずいれること。(中略)

 句集には注釈をつけて、作品篇と膨大な注釈篇の二部仕立てにする。モデルは若いころ読んだ入沢康夫の詩集『わが出雲・わが鎮魂』。句集としては異例のものになるだろう。


 とあった。その注釈篇■120ー121頁に、


(前略)キリン燃えカバ脱糞しモズ笑ふ

    麒麟燃ゆ崑崙山の夕紅葉

    地球史の涯の秋なりキリン燃ゆ

 ダリ《燃えるキリン》(1937年)

 *〈燃えるキリンの話を聴いた/燃えるキリンが欲しかった/どこかの国の絵かきが燃やした/長い首をまく炎の色/その色が欲しかった/……/世界のどこかでキリンが燃える〉(黒田喜夫「燃えるキリン」より)

 *モズ……三秋/*夕紅葉……晩秋/*崑崙山は中国古代の伝説の山。西王母のいる仙界だともいう。*秋……三秋


 とある。ともあれ、句のみになり、愚生好みに偏するがいくつかの句を挙げておこう。


  天地(あめつち)の創(はじ)めや海の初あかり    時男

  胸うすき踊子たちの初稽古

  世界は音符色もかたちも見ろ♪ 春だ

  根開きやマタギは帰るマタギ村

  ダンス・レッスン・ダンス・デッサン風光る

  五月来ぬすべての窓に未亡人

  身をよぢる肉の絶巓蛇の締め

  海の向うの戦争恋し白日傘

  絹団扇白い娼婦に黒い侍女

  夏潮補陀落(はらいそ)まではうつぼ舟

  原爆忌影絵の街に子ら遊ぶ

  霜の鏡の僕の背中に死後の僕

  錆び枝折(しを)り細身寒波のジャコメッティ

  夜に凍えて夜に目覚めて心有り

  

 井口時男(いぐち・ときお)1953年、新潟県(現南魚沼市)生れ。



   撮影・中西ひろ美「冬に入ると言うといえどもしばらくは」↑

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