河野愛子「人の半分(なかば)は女、時の半分は夜とや生(あ)れて寂しき冬雷の底に」(『をとめよ素晴らしき人生を得よ』より)・・


  瀬戸夏子著『をとめよ素晴らしき人生を得よ/女人短歌のレジスタンス』(柏書房)、その「はじめに」の中に、


 (前略)一九四九年、女性歌人たちによって超結社「女人短歌会(にょにんたんかかい)が発足した。同じ年の九月、季刊歌誌「女人短歌」が創刊された。さらに女性歌人たちのシリーズである「女人短歌叢書(そうしょ)」が立ち上がった。女性は短歌総合誌に作品を発表することさえままならない時代があった。例外的な女性スター歌人は何人かいたが、女性歌人全体の扱いはひどいものだった。このままでいいはずがない。怒りちお焦燥から「女人短歌」は生まれた。(中略)

 戦後女性短歌―-いや戦後短歌シーンにおいて非常に重要な組織だったにもかかわらず、「女人短歌」についての研究は数少ない。わたしも―ーわたしたちも「女人短歌」について、そこにいた女たちについて、あるいは彼女たちの時代についてまだほとんど何も知らなかった。

 わたしは彼女たちひとりっひとり、すこしずつ調べてみることにした。けれど調べれば調べるほど、彼女たちはひとりきりで歌をつくっているわけではないことがわかった。(中略)彼女たちの存在も。彼女たちの歌の価値も。これから、短歌の歴史は大きく書きかえられていくことになるだろう。

 けれどその前に、この本は、彼女たちの物語を必要としている人たちに捧(ささ)げられることになるだろう。キャットファイトとしてジャッジされ消費されるわけではない、けれど過度に美化され欲情されるわけででもない、いまこの時代においても切実に必要とされている、あるいはわたしたち自身の姿にもよく似ている彼女たちの物語が存在することによって救われる、あなたたちに向かってこの本は書かれることになる。


 とある。第4章「北見志保子と川上小夜子」の冒頭のみを少し抽こう。


 「女人短歌」というプラットフォームは、北見志保子(きたみしほこ)と川上小夜子(かわかみさよこ)のシスターフッドが生んだ最高傑作だ、というのがわたしの考えである。

 彼女たちはなんども試みた。

 なんとか女性だけでもやっていける短歌シーンの仕組みをつくれないか?

 なぜならこの社会の仕組みと同じく、短歌の社会もまた「家」に似ていて、首長である男に外されてしまえば、女性たちは短歌つくり、、発表し、発言する場がかんたんに失われてしまうからだ。(中略)

 ほんとうは、女性だけの短歌誌など存在しないほうがいいのかもしれない。「女性」というジェンダー/セックスでの線引きは、現在ではかなり危ういものだ。それでも(・・・・)ないよりはあったほうがいい、ということが世にはあるし、この時代には大いに存在した、ということだと思う。

 しかしながら「女人短歌」は現在からその詳細を振り返ると必ずしも女性歌人たちが完全に独立して経営できていた組織とは言えない。思想的には折口信夫(おりくちしのぶ・釈迢空 しゃくちょうくう)のバックボーンがあったし(「女流の歌を閉塞したもの」、「短歌研究」一九五一年一月号)、創設時には男性歌人にお伺いをたてているし(「男性に対立するものでなければよし」という返答)、主催した「女人短歌文化土曜講座」の講師は円地文子(えんちふみこ)を除くと全員男性だった(十四人中十三人)。けれど人間ができることには、常に時代や運という制約があり、人は永遠には生きられない。そのうえでわたしが考えることはそれでも(・・・・)「女人短歌」があってよかった、そのことに尽きる。


 ともあれ、巻末には、付録として短歌のアンソロジーがある(その中の最初の一首には解説がある。愚生のような門外漢には有難い)。その中から、いくつかの歌を挙げておこう。


 ひび入りて伏せおく大き甕ひとつみどり児の声漏るる夜無きか    大西民子

 たたかひはまだ終わらぬに敗者といふやさしき席を自ら選ぶ     北沢郁子

 いぶかしみ世は我を見るわたつみの底より来つる少女の如く     片山廣子

 白きうさぎ雪のやまより出でて来て殺されたれば眼(め)を開き居り 齋藤 史

 人恋ふはかなしきものと平城山(ならやま)にもとほりきつつ堪へがたかりき 

                                北見志保子

 憎まるることもひとつの張りあひと云ひたる友も思ひ出で居き   川上小夜子

 多寡が女一人とことなげに女同士がいふ危ふさを          長沢美津

 不眠のわれに夜が用意しくるるもの 蟇(がま)・黒犬・水死人のたぐひ

                                中城ふみ子 

 もとの身は雨乞いシャーマン・アマタラス死して慈雨ありぬ やるやおまへんか

                                 穂積生萩

 男の死女の死そのつひの舌の凍ゆる闇を思ひつめつも        河野愛子

 水中より一尾の魚跳ねいでてたちまち水のおもて合はさりき     葛原妙子

 百合を挿すと右向きの花左向きもしづかにありて下向くがゆらぐ   森岡貞香


 瀬戸夏子(せと・なつこ) 1985年、石川県生まれ。



撮影・芽夢野うのき「アララギは父か母かや卯木の実」↑

コメント

このブログの人気の投稿

田中裕明「雪舟は多く残らず秋蛍」(『田中裕明の百句』より)・・

秦夕美「また雪の闇へくり出す言葉かな」(第4次「豈」通巻67号より)・・

渡辺信子「ランウェイのごとく歩けば春の土手」(第47回・切手×郵便切手「ことごと句会」)・・