河本緑石(ろくせき)「海ははるかなり砂丘のふらここ」(『早く逝きし俳人たちー『祈り」としての俳句』より)・・


 樽見博『早く逝きし俳人たちー「祈り」としての俳句』(文学通信、2700円税別)、その「はじめに」に、


   本書は前著『戦争俳句と俳人たち』(トランスビュー、二〇一四年)、『自由律俳句と詩人の俳句』(文学通信、二〇二一年)執筆の過程で出会った早世の俳人たち十二名の作品と生涯を紹介したものである。

 優れた才能を持ち、輝くような作品を残しても、人々の目に触れる資料がなければ、またその作品を伝える語り部がいなければ、時の流れに埋もれていってしまう。

 私は古書業界に身を置いてきたので、様々な資料に出会う機会に恵まれている。俳句関係の資料は需要も少なく、時にはゴミとして処分されてしまうことも少なくない。ことに膨大な数にのぼる俳句雑誌などはその典型である。(中略)

 そんなことから、偶々私が出会った早世の俳人たちの作品を、その初出誌にさかのぼり出来る限り紹介したものが本書である。主に私が参加している同人誌『鬣(たてがみ)』と、編集している『日本古書通信』に掲載したものを、加筆の上まとめた。(中略)

 私が今回取り上げた「早く逝きし俳人たち」の多くは戦争の犠牲者と言えると思う。戦死者ばかりが犠牲者ではない。平和であれば埋もれずに済んだ者がいる。(中略)

 戦争は何一つ人々に幸いを齎さない。戦争の時代に突入しないことを、今、心から祈るだけである。


 とあり、また「あとがき」には、


(前略)前著二冊と比べると、今回は国立国会図書館デジタルコレクションに頼るところが多かった。基本は家蔵の資料を使ったが、神奈川近代文学館、日本現代詩歌文学館の協力に加え、機能と利用度が格段に増したデジタルコレクションがなければ完成は覚束なかったことは確実である。有難い存在である。一方でコピーでは隔靴掻痒の感は否めず、この恵まれた状況だけで良しとする風潮が出来てしまう懸念も拭えない。様々なことを念頭に置けば、今後も基本は自身で入手した資料を基本にし、どうしても足りない物だけ公共機関の資料を利用すべきだと考える。デジタルで公開されているのは、まだ本当に一部にしか過ぎないという点も見逃してはいけないと思う。


 とあった。ここでは、収載された12名の早世の俳人たちと一句のみを、目次より紹介しておくので、興味を持たれた方は、是非、直接手にして、ご覧になっていただきたい。

 巻尾には、神戸大学山口誓子記念館(2024年9月)で行われた講演「早く逝きし俳人―-人は何故詠おうとするのか」が収録されている。


  山影のひろごりつきし枯野かな       中西其十(きじゅう)

  飛ぶ虻の陽に散らしたる花粉かな      田中青牛(せいぎゅう)

  わが戻る蜩の田端をよぎり日暮里をよぎり  大橋裸木(らぼく)

  山の緑に終夜歩みし夜が明くる       河本緑石(ろくせき)

  喜憂みな人の世にして麦熟るる       松本青志(せいし)

  水洟や冷々として骨を滴る        和田久太郎(きゅうたろう)

  母の背に枯木あかるし癒えたかり     藤田源五郎(げんごろう)

  愛うすきひととあればよ遠花火      高橋鏡太郎(きょうたろう)

  月明に 肋骨を焚く鬼となる        本島高弓(たかゆみ)

  花合歓はまひるの海をひそかにす       堀 徹(とおる)

  秋没日がくりとうごく田螺かな       鎌倉鶴丘(かっきゅう?)

  雪の天涯もなきかな風伯は        柏原鷹一郎(たかいちろう?) 


 樽見博(たるみ・ひろし) 1954年、 茨城県生まれ。 



        撮影・中西ひろ美「ただ食むや露の瞳に草の色」↑

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