川森基次「水月のかくもどかしく蛇の首」(『あやまちに似て』)・・


  川森基次第二句集『あやまちに似て』(東京四季出版)、著者「あとがき」には、


(前略)わずか十七音という限られた言葉の中で表現される俳句という詩型を思うとき、私はしばしばこの「記憶と死」との関係を意識せずにはいられない。俳句は短く、抽象と具体の境界を揺れ動きながら読者の想像に訴えかける。ある一句を詠んだとき、その中に込められた「記憶」は作者のものでありながら、読む人それぞれの「記憶」に結びつき、共鳴したり摩擦を生んだりする。そのとき、俳句は単なる詩型ではなく、「記憶」の触媒として機能しているのいかも知れない。第一句集刊行以後、私はずっとそのような思いを抱えながら、俳句と向き合ってきた。俳句を詠み、読むこと、学ぶこと、評を書くこと―ーそれらはすべて、私自身の「記憶」と静かに向き合う時間でもあった。そしてその中で、私の中にある断片的な「記憶」が、少しずつ詩のかたちを取りながら連なり、一つの物語をなしていくような感覚があった。(中略)

 本句集の刊行をもって、自分自身の「記憶」の文脈、あるいは物語を、もう一度経験」しなおすことができれば、佳としたい。


 とあった。ともあれ、本集より、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておきたい。


  つかの間もデブリ眠らず春の雨        基次

  老人老い難くすかんぽ甘噛みす

  類想を嫌ふ類想ねぎばうず

  修司忌に来たるマスカラ濃きをとこ

  異を歎ず師のこゑ聴こゆ深見草

  旅役者一行虹を置いてゆく

  行く夏の撃ち損じたる鳥の影

  忘れもいい八月に付箋貼る

  逢ふたびに初めてのひと大花野

  穴惑ひ誰が忘却の自製銃

  撲つた子が撲たれたと言ひ五郎助ほう

  除夜といふ以下空白の響きあり

  ジオラマの駅に軍神冬ざるる

  黙禱の握り拳を雪しまく

  天狼の死を思ふとき海思ふ


 川森基次(かわもり・もとつぐ) 1954年、大阪生まれ。



★閑話休題・・川崎果連「虚栗愛がなかったわけじゃない」(第6回浜町句会)・・


 9月5日(金)は、3か月に一度の第6回浜町句会(於:人形町区民館)だった。

以下に1人一句を挙げておこう。


  水桶に茄子ときゅうりの夫婦かな       植木紀子

  水月へ酔鯨となり跳ぶわれら         川崎果連

  八月の空・番号で呼ぶいのち         田島実桐

  稲妻やわたしも実は破滅型          石原友夫

  乗換は十七分後走り蕎麦           米原拓土

  遠雷の誰にも言えぬ独り言          杦森松一  

  黙劇の壁にぶつかる秋の風          白石正人

  「むかつく」とう君らの抵抗鶏頭花      赤崎冬生

  鬼灯の枯れた紅さや侘(わ)びと寂(さび)  武藤 幹

  ひらひらりひらひらひらり風の盆      村上直樹  

  総員玉砕せよ!咲き終わりたる立葵     大井恒行


 句会終了後、近くの白石正人御用達の寿司家で、愚生の第80回現俳協賞受賞のお祝い会を開いてくれた。深謝!! 次回は、12月5日(金)予定。



           撮影・中西ひろ美「その先に老病死待つ昼の虫」↑

コメント

このブログの人気の投稿

田中裕明「雪舟は多く残らず秋蛍」(『田中裕明の百句』より)・・

秦夕美「また雪の闇へくり出す言葉かな」(第4次「豈」通巻67号より)・・

山本掌(原著には、堀本吟とある)「右手に虚無左手に傷痕花ミモザ」(『俳句の興趣 写実を超えた世界へ』より)・・