SEIKO「八月や積み上げて人焼かれたる」(『おらしおん』)・・
SEIKO『おらしおん』(邑書林)、帯文には、
あの日から80年/俳句で伝えることは出来るのか
1945年8月6日8時15分、そして8月9日11時2分
広島は……、長崎は……。瞬の間に無間地獄と化した
戦後生まれのHibakusyaでもない俳人が詠みはじめた
見て、知り、感じ、考え、語り、伝え、祈り、そして忘れないために
とある。叙詞は、箕牧智之(日本被団協代表委員)、それには、
(前略)自宅に帰りますと知らない人からのゆうパックがあり早速開けて読ませていただきました。
弔われに人骨の上生きねばや
広島の平和公園をはじめ広島市内は亡きがらの上を踏んで歩いているような気がしてなりません。
また「焼き場に立つ少年」の写真は私の手帳にずっと入っております。ノルウェーにも持参しました。
まさに戦争は国家が起こす、国民が犠牲になる、特に子供たち。
「焼き場に立つ少年」はその典型的な写真です。(中略)
感動する作品ばかりです。是非製本されて発行にこぎつけてください。
平和な日本に住む一人として関心を持って下さい。
と記されている。また、跋の永島靖子は、
(前略)広島や長崎で直接原爆に遇われた方々の体験記や小説、詩歌等々、有名、無名かなり既に存在するけれど、戦後八十年、こうして一本の俳句集としてまとめられたのは、まことに尊い。それも原爆も空爆も、何ら戦時体験のない方の労作であることが尊く嬉しい。
と記す。そして、著者「あとがき」には、
二〇一五年、さだまさしさんの「広島の空」を偶然聞いたときのことでした。(中略)
私の心は揺さぶられ、歌の力を思い知りました。(中略)そうして、私もさださんと同じように、俳句という詩で原爆の悲劇を伝えたいと強く思いました。特にスペイン語圏の人たちに向って。
なぜ、その人達なのかというと、私が今までスペイン語で俳句を紹介する仕事をしてきたからです。(中略)
スペインでの出版と共に、日本で日本語の句集も出したいと考え、できあがったのが本書です。(中略)
被爆の惨劇、残酷さ、さらに被爆者の苦しみは、拙句では到底表現できるものではありません。しかしながら、本句集が、原爆の惨劇を風化させないための一助となることを切望するものです。
とあった。ともあれ、本集より、愚生好みに偏するが、以下に、いくつかの句を挙げておきたい。
燃える溶けるゆがむ広島炭化する
一瞬に骨片となる人人人
明け易し吾子の遺体を燃やしかね
蠅蠅蠅死体のひとつ生きている
死人から下駄を盗んでゆく裸
死の灰を浴びた手足や冬耕す
命日は八月六日あの子もこの子も
花散るや遺書に書かれし「墓不要」
春の塵払い払いて第九条
戦争の語り部母の汗滂沱(ぼうだ)
風が涼しい被爆樹のそば居よう
ほどかるる闇あり烏瓜の花
被爆者の黙(もだ)月影に揺り椅子を
領海をいくつも越えて凍鶴に
フォルティシモの雪遺骨なき墓なりき
★閑話休題・・大井恒行「戦争に注意 白線の内側へ」(監修・神野紗希『俳句の日めくりカレンダー』より)
撮影・中西ひろ美「以後死にたもうことなかれ盆用意」↑
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