中西由起子「降る雨を歓びながら沖縄人(しまんちゅ)は濡れっぱなしを悲と怒でわらう」(『夏燕』)・・
中西由起子第3歌集『夏燕』(ながらみ書房)、著者「あとがき」に、
(前略)今年は平成という時代が終わることになりました。震災からの復興は各々の期待どおりになっていないように思いますが、この辺で自身の心や作品に区切りをつけねば私の復興が進まない、との思いからこの第三歌集を編みました。
平成という時代がどんな形で残るのか、また、これから来る時代に対しては大きな不安もありますが、一方で救いは自分の心が生むものだということがわかってきました。
若い人たちが未来へ広がる夢を持てるような時代になることを願いつつ、一日一日誰もが恙なく生きられたら、というのが目下の思いです。
とあった。帯には、
光りまばゆい海の砂浜。/やわらかく起伏した土手道。
都市の喧騒のなかのしじま。/そんな場所にひっそりと置き忘れた歌があった。
さびしい心に似つかわしいのは透明な響きだ。
とある。また、集名に因む歌は、
夏燕ひとたび行けばもう来ずと思う駅舎を低く飛びおり 由起子
であろう。ともあれ、以下に、愚生好みに偏するが、いくつかの歌を挙げておきたい。
秋空へ魚の光を提げてゆくタカ目タカ科の鉤爪が見ゆ
たった一夜降りて終われど東京の日陰に小さく雪だるまおり
稜(かど)のある酒器は〈だちびん〉(抱き瓶)稜のない酒器は〈からから〉並べてありぬ
汗ばみてゴーヤーと豆腐を炒めつつ生きてきたのかあなたの父も
陽だまりの背から猫になっていく毛足の長いセーターを着て
勝ち負けの声の鋭く鵯と鵯本気なるべしわたくしよりも
晴れやかに海につながる一月の仕立ておろしのような青空
人形の中から出てくる人形の最後に出てきた莟の少女
百歳は近未来だというちちの五月の空の青い夕方
精神はすこしあとから逝くものか触れれば死者の心拍図うごく
「石にでもなっていようか」一葉の言葉載せて冬の石ある
歳月を風がぬぐえばあらわるる鶴の細さの老い母の脛
★閑話休題・・川島ゆき子「居ぬやうにはんざきの居る石の上」(「翡翠」2025春・No82・「第81号秀句」より)・・
川島ゆき子は上掲歌集の中西由起子の俳号である。結社は、鈴木章和主宰「翡翠(かわせみ)」の同人である。本誌本号作品より以下に、いくつか挙げておこう。
山茶花のあくる日からは散りざかり 鈴木章和
霜柱一基月光を宿しゐる 樋口二郎
日の差して大樹丸ごと苔の花 山本三千代
寒風の欅巻く掌の速さかな 外山観佳子
遺影抱く心の奥の霞かな 佐瀬智恵子
茶の花の浮世の音に離れゐて 山田 齊
不忍や舟出て浚ふ蓮の骨 鈴木邦江
捨て書きにひろふ一句や木の葉髪 小松瑞代
搗き餅の闘はずしてのびるなり 川島ゆき子
撮影・中西ひろ美「茶を冷しみんみんだけの蝉時雨」↑
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