垂水文弥「泣くために目がありまいにちをひらく」(「円錐」第106号より)・・


 「円錐」第106号(編集/発行所 山田耕司)、特集は「第九回円錐新鋭作品賞受賞者最新作」。「澤好摩 没後2年」に横山康夫「澤好摩の不在に」、味元昭次「蛍のことなど」、山田耕司「『澤好摩俳句集成』への道」。論考に今泉康弘「七月七日の詩学 星の契り篇」と「詭弁遺産―-ユネスコ無形文化遺産登録についての一考」。その今泉康弘の「編集後記」に、


☆「詭弁遺産」補遺。能村研三の主宰誌「沖」のニ〇一〇~二五年七月までの誌面を調べた。その結果、自然環境を保護する具体的活動の記事は全く見つかなかった。念のため言うと、同誌が保護活動していないのを責めたいのではない。どの結社も、そんなものだ。角川俳句年鑑二〇二五年版に見る限り、自然を守る活動をしていると記す結社は皆無。なお同年鑑で橋本榮治は、俳人が自然環境悪化を防ぐ具体的行動を起こす時だと提言している。即ち、俳人=結社は具体的行動を起こしてこなかったのだ。虚子の花鳥諷詠提唱から約百年だが、その理念は俳人に対して自然保護の行動を起こさせる役には立っていないのだ。


 とあった。至言であろう。また、先のエッセイ横山康夫「澤好摩の不在に」に、


(前略)私にとつて勝負は澤好摩不在のこれからなのだと思ひ直す。

      鯨ゐてこその海なれ夏遍路

 といふ澤好摩の句があるが、澤好摩ゐてこその横山では終はれないのだ。澤好摩が不遇のとき、「俺はこのままでは終はれない」とよく言つてゐた。その気持ちは痛いほどに理解できた。そのときはともにゐることだけが私にできることだつたが、澤好摩亡き今私に新しい季節が訪れたといふことだらう。ただし、齢七十五を過ぎて新しい季節などとは遅きに失したといふべきか。


 と記されていた。ともあれ、以下に、本誌より、いくつかの句を挙げておこう。


  花栗の匂うて雨の一日かな           福田潤子

  青鷺は書けない嘴を垂らしおり       赤羽根めぐみ

  平熱に戻る怖さも二日かな           神山 刻

  起きてしまふ蝉の声が痛そうで        有瀬こうこ

  水温み濁り行き場の無き根っこ        桃園ユキチ

  棺つくりの棺は誰がつくる冬虹         垂水文弥

  手繰りては光をたたむ海苔の舟         丸喜久枝

  短冊に文字なし好摩没後二年          山田耕司  

  炎天やはだしのゲンに行き場なし        摂氏華氏

  チューリップ口(くち)からこぼるる涙かな  荒井みづえ

  裸木のままに考へ続けたい          原田もと子  

  天領の水を掬ひて解く絵具           大和まな

  ほうたるの好摩康夫と飛びにけり        味元昭次

  莫大小の肌(はだへ)にゆるし昭和の日    和久井幹雄

  流木をいたはる春のしぐれかな         横山康夫

  未完の馬に陣痛が来る夕薄暑          立木 司

  階段を燃やして露西亜来て居たり        今泉康弘

  眠れない一時二時三時遠蛙           後藤秀治

  「さやうなら」気になる背後さるすべり      小倉 紫

  そこらまで蝉鳴く道を行く別れ         矢上新八

  鳥雲にをとこ出てくる懺悔室          小林幹彦

  


       撮影・鈴木純一「魘さるゝ溽暑の王はいっそ楽に」↑

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