鈴木牛後「人(ひと)は世(よ)に飼(か)はれてはるか天(あま)の川(がは)」(『鄙(ひな)の色(いろ)』)・・
鈴木牛後第4句集『鄙(ひな)の色(いろ)』(書肆アルス)、その「あとがき」に、
本句集は、『にれかめる』以降の、二〇一九年から二〇二三年までの五年間に発表した句から三七二句を選んで編んだ。二〇二三年までとしたのは、北海道から関東へ転居したのがニ〇二三年の十一月ということで、区切りとしてちょうど良いと思ったからである。
見ておわかりのとおり、本句集は総ルビを採用している。俳句ではよほどの難読漢字以外、ルビは避けられる傾向にあるが、それではあまりに読者に負担を掛けることになると思ったからだ。「これくらい読めて当然」「わからなければ調べれば良い」という考えもあるだろうが、私はその立場を取りたくはない。ただそれだけである。
とあった。集名に因む句は、
ひだるさや鵯草(ひよどりぐさ)は鄙(ひな)の色(いろ) 牛後
であろう。ともあれ、愚生好みに偏するが、本集より、くつかの句を挙げておこう。
春(はる)の蠅(はへ)出(で)てはたゆたひ出(で)ては死(し)ぬ
猫(ねこ)も手(て)を汚(よご)して喰(く)らふ鳥曇(とりぐもり)
雪掻(ゆきか)いて雪(ゆき)より明日(あす)を掘(ほ)り出(だ)しぬ
鉄鎖引(てっさひ)けば雪(ゆき)の底(そこ)より鉄(てつ)の杭(くひ)
春泥(しゅんでい)に靴(くつ)を取(と)られて取(と)りかへす
春塵(しゅんぢん)や鄙色(ひないろ)に暮(く)れ街狐(まちぎつね)
白魚(しらうを)を風(かぜ)と思(おも)うて啜(すす)りけり
みなみかぜかつて我(われ)らに飛(と)べる午後(ごご)
斃獣(へいじう)を荷台(にだい)に匿(かく)す朧(おぼろ)かな
黒田杏子先生逝去(くろだももこせんせいせいきょ)
桜散(さくらち)るあしたのあした来(き)てしまふ
螻蛄鳴(けらな)くや臥(ふ)せれば漏(も)れる牛(うし)の乳(ちち)
独(ひと)り牛(うし)を曳(ひ)けば素風(そふう)が牛(うし)を押(お)す
鈴木牛後(すずき・ぎゅうご) 1961年、北海道生まれ。
★閑話休題・・大西信子「葛餅ヤマロ寝の夫ノシロキ髭」(立川市シルバー大学「俳句講座」第10回)・・
6月4日(水)は、立川市シルバー大学「俳句講座」第10回(於:立川市曙福祉会館)だった。前回出した課題は、「カタカナ表記を使って句を作る」であった。漢字カナ交り、カタカナのみの句など、なかなか有意義だった。かつて糸大八に「ブライダルホールトツゼンダンボール」という名句があった。教室風景を撮り忘れたので、「第33回立川シルバー大学文化祭」(6月21日~6月28日。於:立川市柴崎福祉会館)の出品目録を掲載する。ともあれ、以下に一人一句を挙げておこう。
アメアガリカエルピヨコピヨコミズシブキ 村上たまみ
ミズハジキナスコンノイロミズミズシ 河本和子
メイストームレコード手繰リヴィヴァルディ 古明地昭雄
リラ咲ケリリラ亭ハマダアリマスカ 大西信子
ガラガラドンライコウタケクソラハシリ 白鳥美智子
サングラス掛ケシママ聴クレクイエム 中尾淑子
夏祭アメニオワレテ下駄ノオト 中村宜由
グツグツグツロールキャベツノ煮エルマデ 山下光子
孫ヒマゴ八月生マレ同イトシ 原 訓子
梅雨晴レヤモルック棒二操ツラレ 小川由美子
オモイデハトントントント父母二 柳橋一枝
カラーコーンポツント赤ク祭リアト 堀江ひで子
花道ノ浴衣カラフル大相撲 赤羽富久子
サシスセソ料理ノコツヤ夫マナブ 島田栄子
蔓薔薇ノヒラヒラフワリ音ノセズ 林 良子
ツバメノ子コーラス賑ヤカエサネダル 手島博美
シラトリノタテルミギワ二キタル夏 大井恒行
撮影・中西ひろ美「梅雨近き頃のひとりは楽しかる」↑

コメント
コメントを投稿