楠本奇蹄「うぐひすや遊具は仮死のままに森」(『グッドタイム』)・・


  楠本奇蹄第2句集『グッドタイム』(現代俳句協会)、帯文は穂村弘。それには、


 本書に書かれた極小の詩が、世界の秘密を解く鍵に見える。

 特異な美意識の奥には、私たちが生きる現実の危機の感受があるみたいです。


とあり、著者「あとがき」には、


 (前略)そんな瞬間を、俳句にとどめておきたい。誰の裡にも等しく存在し得ないものを、共通して受け取れることばで残してみる。対象のかたちの有無にかかわらず、定型とは何かを閉じ込めるひとつの姿なのかもしれない。

 そんなことをこの句集のあとがきに書こうと思っていた矢先、祖母が亡くなった。

 前の句集『おしゃべり』のあとがきでも触れたが、祖母は私の原風景をかたちづくった人だった。(中略)

 いったんは散り散りになった微かな粒は、ふたたび毀れやすいかたまりになっていく。見るともなく目を凝らす。遠くへいってしまったそれが、ふとしたときに眼の前でまた光を帯びるその瞬間を逃さないように。たぶんそういうふうに、これからも俳句を作っていくのいだと思う。


 とあった。集名に因む句は、


  花は柩ちひさく握るグッドタイム      奇蹄


 であろう。ともあれ、愚生好みに偏するがいくつかの句をあげておこう。


  磨る墨のきしみ積もりて晩秋は

  こゑにあつて玻璃にないもの冴返る

  泡散りて晩秋の水なりき

  まなぶたにみづのおもさよ藤曇

  押入に姉は風待ち麦の秋

  カプリブルー泳ぎ疲れた背は空室

  真夜中の傷を告げあふ菫かな

  ひと晩の凪があやめの底にあり

  空つぽの腕の重さよ鳥渡る

  秋日傘チャプレンはさざなみ抱へ

  弔ひの手で綾取りの橋渡る

  忘却の隙間に鶴の来てひらく

  思惟の手にみづのゆきさき鳥曇

  鶴帰るいつかささやくその名へと


 楠本奇蹄(くすもと・きてい) 1982年生まれ。


 ★閑話休題・・韓江(ハン・ガン)、斎藤真理子訳『すべての。白いものたちの』(河出書房新社)・・

 

韓江(ハン・ガン)・斎藤真理子訳『すべての、白いものたちの』(河出書房新社)、その「私」の冒頭には、

 白いものについて書こうと決めた。春。そそとき私が最初にやったのは、目録を作ることだった。
 おくるみ/うぶぎ/しお/ゆき/こおり/つき/こめ/なみ/はくもくれん/
 しろいとり/しろくわらう/はくし/しろいいぬ/はくはつ/壽衣
単語を一つ書きとめるたび、不思議に胸がさわいだ。この本を必ず完成させたい。これを書く時間の中で、何かを変えることができそうだと思った。傷口に塗る白い軟膏と、そこにかぶせる白いガーゼのようなものが私には必要だったのだと。(中略)
 時間の感覚が尖ってくるときがある。病気のときが特にそうだ。十三歳のころに始まった偏頭痛は予告なく、胃痙攣とともにやってきては私の日常を停止させる。やっていたことをすべて止めて痛みをこらえるとき、したたり落ちてくる時のしずくの一滴一滴は、かみそりの刃で作った玉のようだ。指先をかすめるだけでも血が流れそうだ。やっとのことで息をしながら一瞬一瞬を生き延びている自分を、ありありと感じる。(中略)
 今この瞬間にもその危うさを感じながら、まだ生きられていない時間の中へ、書かれていない本の中へ、私は無謀に分け入っていく。


 とあった。「わかれ」には、


 しなないで しなないでおねがい。

 言葉を知らなかったあなたが黒い目を開けて聞いたその言葉を、私が唇をあけてつぶやく。それを力こめて、白紙に書きつける。それだけが最も善い別れの言葉だと信じるから。死なないようにと。生きてって、と。


 と刻まれていた。帯の惹句に、「世界17ヵ国で翻訳/アジア唯一の国際ブッカー賞作家、あらたな代表作」/ー割るあy羽と朝鮮半島うぃむすぶ、いのちの物語」とあった。

 


       撮影・鈴木純一「芍薬も鍵は内から開けられず」↑

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