田中信克「葉桜のどこかに自分だけの地図」(「つぐみ」No.222・4月号)・・
「つぐみ」No.222・4月号(編集・発行 つはこ江津)、本号の「俳句交流」は田中信克。論考は外山一機、今号は「震災句の読みと詠み」。その中に、
加島正治が『終わっていない、逃れられない(当事者たち)の震災俳句と短歌を読む』(文学通信)を上梓した。本書は二〇一一年の東日本大震災と向き合った俳句・短歌を考察したものである。(中略)
たとえば、小野智美編『女川一中学生の句 あの日から』(羽島書店)である。これは二〇一一年五月と一一月に、宮城県女川第一中学校で行われた授業内で生徒が作った俳句をまとめたものだ。(中略)鹿島が注目するのは、この紹介文である。
聞いちゃった 育った家を こわす日を
その日から震災前のアパートを夢に見る
ベッドから見た天井。家族で囲んだ食卓。
目覚めれば、こう思い直す。
前へ進もう。
加島は次のように言う。(中略)
なぜ執拗に小野は「前へ進ませようと」するのか。な
ぜ嘆き悲しみ、生きることに絶望することを中学生に許
さないのか。「前に進まなければならない」と誰かが他
人に強いたとすれば、それは暴力である。
加島が指摘するのは、小野が句の解釈をある一つの方向へ誘導するかのような書き方をしていることの持つ暴力性である。(中略)
加島の「被災時の詠み方」がありしれは平時に研鑽されてきた〈表現の技法〉からみれば、そこからはずれる〈なにか〉であるという。しかしそれは本当だろうか。
僕にはむしろ被災時においてこそ「平時に「研鑽されてきた〈表現の技法〉が強化されるように思われてならない。なぜなら、そもそも俳句という形式は、それにかかわる者たちに「中央」の価値観への加担を求めるものであり、しばしば「特殊」性を捨象することを求めるものであるからだ。それを「ネーションに加担する罪」と述べたのは北海道出身の柳元佑太であった。
とある。興味のある方は、直接、本誌に当たられたい。ともあれ、以下に、本号より、いくつかの句を挙げておきたい。
弱者の連鎖春の夕暮れむらさきに 田中信克
春一番腹筋背筋大腎筋 有田莉多
解体のショベルが冷えて月冷えて 入江 優
与太郎がくすりと覗く春の穴 井上広美
キノコともクラゲとも視(み)せ雲育つ 打田峨者ん
いつの間にかちょっと少なめ寒雀 鬼形瑞枝
大猫のからだ日々軽くなる 花を待つ 金成彰子
鎮火待つ心一つに春の雪 楽 樹
ゆうぐれる緋鯉は 炎の唇開(くちあ)いて 伍 宇
春宵や結んで開く運命線 髙橋透水
こっちだよ呼ばれて春は来たりけり つはこ江津
Hop STep Jump 絵本は世界へ 天空海士
見通しの悪い言葉だ栄螺焼く 夏目るんり
相寄れる二羽の雀や春の雲 西野洋司
晩冬の抗議の小舟持ちこたえ ののいさむ
ひとり抱っこ春はまだまだ 蓮沼明子
綿虫になりかけている木のベンチ 平田 薫
追憶の口ずさんでみる春の雪 八田堀京
いぬふぐりどんどんつぎつぎねこやなぎ 渡辺テル
しぐれ来て鈴鹿峠にスマホ鳴り わたなべ柊
撮影・鈴木純一「梅若忌雨の後にはいいことが」↑
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