石田柊馬「水にされそうでますます狂う」(『LPの森/道化師からの伝言 石田柊馬作品集』より)・・ 

 


 小池正博編『LPの森/道化師からの伝言 石田柊馬作品集』(書肆侃侃房)、帯文は瀬戸夏子、それには、


 どうしようもなくかっこいいのに、そんなことを言ったら嫌われてしまいそうだ。

 含羞のダンディズムに導かれてわたしたちは現代川柳の真髄を知ることになる。 


 とあり、また、惹句には、


 川柳性を徹底的に突き詰め、「妖精は酢豚に似ている絶対似ている」などの作品でも知られる現代川柳の先駆者・石田柊馬(1941~2023)。晩年の作品と代表的な評論を収載した作品集。


  とあった。そして、小池正博「あとがき」には、


 石田柊馬没後二年、ようやく作品集を世に送ることができる。

 柊馬には『ポテトサラダ』『セㇾクッション柳人・石田柊馬集』があるが、本書の第一部にはこの二冊以後の作品を収めた。(中略)

 第二部では「道化師からの伝言」「冨二考」の長編評論を中心に、彼の評論の代表的なものを収録した。柊馬の残した膨大な文章のほんの一部だが、彼の川柳論を展望することができると思う。(中略)

 二〇〇〇年『現代川柳の精鋭たち』(北宋社)が刊行された。川柳ゼロ年代のはじまりである。

 発刊記念イベント「川柳ジャンクション」が開催。第一部の鼎談「川柳の立っている場所」は荻原裕幸。藤原龍一郎、堀本吟の三者による、このような川柳をめぐるシンポジウムそのもが当時は珍しく、他ジャンルの表現者が川柳をどうとうらえているかを含めて川柳人に刺激を与えた。(中略)

 石田柊馬の存在は本書に収録されたよりも、もっとスケールが大きい。樋口由紀子は『川柳総合事典』第一巻・人物編(雄山閣)で「彼が居なければ川柳の革新は後退したであろう」と書いている。まことに石田柊馬がいなければ「現代川柳」はいまとは別のものになっていたことだろう。


 と記している。愚生は、『現代川柳の精鋭たち』には、思い出がある。北宋社社主(渡辺誠にして「豈」同人名・森猿彦)から、何か企画はないかと相談され、現代川柳には、俳句、短歌にあるアンソロジーがない。是非、出版すべきだと言い、その人選その他は、「豈」同人だった樋口由紀子を推薦した。そして、樋口由紀子はそれによく応えた。セレクション川柳のときは、現代詩文庫、現代俳句文庫のようなスタイルで、現代川柳文庫のようなものを出してくれる出版社はないか、と相談され、邑書林を紹介した。島田牙城には、セレクション俳人、セレクション歌人、これに川柳が加われば良いと思った。牙城は二つ返事でオーケーしてくれたのだった。今、現代川柳は、同じ五七五であるりながら、現代俳句のシーンをそそいで、ある意味で、可能性を秘めているようにさえ思える。

 ともあれ、本書より、石田柊馬の句をいくつか挙げておきたい。


  高齢者と呼ばれナスカの地上絵よ      柊馬

  三人になるとキリンの首になる

  チョモランマ発、八重洲口着 紙ヒコーキ

  いつか見た鳥居に当たる内視鏡

  ほうれん草きみらの明日もどうかなあ

  3秒前まで鳥だった   の3秒

  折り紙に戻して鶴と水を嗅ぐ

  雉は好き国鳥というのは嫌い

  2とかいて3をいい気にさせてやる

  グローバルグローバルと開く鯉の口

  獣臭の芳しさまで帰れまい

  その森にLP廻っておりますか


 石田柊馬(いしだ・とうま) 1941~2023。京都市生まれ。

 小池正博(こいけ・まさひろ) 1954年生まれ。



   撮影・中西ひろ美「木の合わぬけれども春をおなじくす」↑

コメント

このブログの人気の投稿

田中裕明「雪舟は多く残らず秋蛍」(『田中裕明の百句』より)・・

秦夕美「また雪の闇へくり出す言葉かな」(第4次「豈」通巻67号より)・・

能村登四郎「白椿落ち際の錆まとひそめ」(『俳句のマナー、俳句のスタイル』より)・・