川上弘美「春の宵クローンなのにほくろがない」(『王将の前で待つてて』)・・


  川上弘美第二句集『王将の前で待つてて』(集英社)、「あとがき」ともいうべき「俳句を、始めてみませんか」に、

 

 最初の句集である『機嫌のいい犬』を上梓したのは、二〇一〇年だった。おさめられているのは、俳句を初めて作った一九九四年から、上梓した前年の二〇〇九年までの、十五年間の句である。

 それから月日は過ぎ、気がつくと第一句集を出してから、ほぼ十五年たっている。つまり、俳句を始めてから、今年で三十年というきりのよい時に、こうして第二句集をまとめることができたことを、とても嬉しく思う。(中略)

 そもそも、小説を本格的に発表する前に、俳句という詩形に出会い、言葉で遊んだり細心に言葉を扱ったり、時にはほとんどなじみのない言葉をむりやり俳句にしてみたり、という作業は、わたしにとっては、とてもいい訓練になるものだった。(中略)

 これも、文庫版第一句集の長嶋有さんとの対談で出た話題なのだが、俳句は、私性(わたくしせい)が高いにもかかわらず、句会の場でその句を直されたり批評されたりしても、自我が傷つくということが、ほとんどないのだ。そのことから敷衍(ふえん)するに、自分の俳句を語ったとしても、それは自分を語ることにはならないのだ。それよりも、作った当時の景色や、まわりのできごと、連想などがどんどんあふれ出てきて、俳句そのものを語るよりも、誰かと当時の思い出ばなしをしているようなあんばいになってくる。

 だから、三十年分の、それぞれの一句を語ることができて、今はほんとうによかったと思っている。


 とあった。その中の一篇を以下に紹介する。


 2011年の一句

 かつて野原今また野原夕凪(ゆうなぎ)

      東日本大震災が起こってすぐには、震災の句を作ることはできなかった。

      けれど、それ以降に大半を作った第二句集の句は、つねに震災のことが

      心の奥にあるのだと、読みかえしてみて感じる。


 集名に因む句は、


   王将の前で待つててななかまど         弘美


 であろう。ともあれ、本集より、愚生好みに偏するがいくつかの句を挙げておこう。


  炎昼の舌太く怒(いか)れる男

  おとうとの中に父をる南風(みなみ)かな

  夏星や失せしものみな海底に

  コンビニの元は畳屋秋時雨

  車輛中すべて他人や秋深む

  春暁のチキチと鳴れる首の骨

  洗濯ばさみはさみ疲れやそぞろ寒(さむ)

  紅葉且(もみじか)つ散る覆面パトカーの上(へ)

  夫婦解散とラインに知らせ年の暮

    デンマーク

  航路南へ南へロシア避け

  種の中に種の元ある良夜かな


 川上弘美(かわかみ・ひろみ) 1958年、東京都生まれ。



     撮影・芽夢野うのき「犀の角さくらまみれに天へ向く」↑

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