高山れおな「さわらびや何を握りて永き日を」(『百題稽古』)・・
高山れおな第5句集『百題稽古』(現代短歌社)、栞には,藤原龍一郎「道場の格子窓から」、瀬戸夏子「恋のほかに俳句なし」、高山れおな「我が俳句五徳解」、「霧中問答(聞き手・花野曲)」。その藤原龍一郎は、
高山れおなは、言葉に対する超絶技巧の持ち主である。彼がその技量を十全に駆使して、俳句という詩形に真向っていることは、誰でもが気づいていることだろう。そして、作品をまとめる句集のかたちについても、一冊一冊意表を衝いてくる。(中略)
この句集『百題稽古』の動機と趣向のからくりは、この栞に俳人本人の言葉で解説されている。
もちろん、ここに展開されている稽古は、中位から上位の技法のものに疑いはない。高山れおなの稽古を見られることは短歌、俳句にたずさわる者としては、きわめて興味深く得難い体験だといえる。観客というレベルにまで届かず、道場の格子窓の外から覗いている見物人程度かも知れないが、ともかくも作品に私的感想を述べてみたい。
と記しており、瀬戸夏子は、
(前略)春雨や既視感(デジャ・ビュ)のほかに俳句なし
我こそが伝統の保守本流だという名乗りに胸のすく思いがする。意地の悪い、粘り強い、隙のない右派の姿はもうなかなか見つけるこができなくなった。
御代の春ぐるりの闇が歯を鳴らし
昭和百年源氏千年初鏡
自分の命が滅びるときに何をうたうか、ではなくて、この詩型が滅びるときに何をうたうか、そしてこの国が滅びるときに何を最後にうたうか、たしかにそれを恋と呼ぶことは最も美しいひとつの回答である。
と記していた。そして、高山れおなは、
(前略)「甚・擬・麗・痴・深」とし、我が俳句五徳ということにする。その心は以下の通り。
甚 甚(こってり)を旨とし(味付けは濃いめに)
擬 古詩に擬(なぞら)え(本歌取りとアナクロニズム)
麗 麗しきを慕い(姿は美しく)
痴 痴(おろ)かに遊び(中身は狂っていて)
深 心は深く(深く生きている感じがほしい)
実現しているかどうかはともかく、俳句において庶幾するところと齟齬はしていないはず。
向こう十年くらいは、この路線で行きたいと思う。
とあった。扉に以下の献辞がある。
藤原顕輔朝臣
家の風吹かぬものゆゑはづかしの森のことの葉ちらしはてつる
ともあれ、集中よりいくつかの句を挙げておこう(題詠なので、題も付した)。
三月尽 亡命者(エミグレ)か春か八岐(やまた)に行くものは
霞 露彦が幸彦を呼ぶ山彦よ
幸彦……攝津幸彦の忌日は一〇月一三日。
月 自然主義的月光仮面升(のぼ)さんは
夢 夢死干しの百巻句集飛ぶ笑ふ
百巻句集……藤原龍一郎『魔都 魔界創世紀篇』の
後記に、百巻からなる大河ロマン句集の予告あり。
述懐 季語と綺語辞林に満てり七竈
遊糸 かがよひて遊べる糸か我もまた
落花 花筏ももとせ揺れて戦前へ
躑躅 短歌(うた)は愚痴俳句は馬鹿や躑躅燃ゆ
旧年立春 たけなはの独り俳諧冬の春
忍恋 我が孤火も霜夜は遊べ狐火と
孤火……万葉集に恋を孤悲と記すこと
二十九例に及べり。孤火は見えず。
星 戦争の星空蠅の眼の中に
秋田 秋も脱ぐ山田耕司のパンツかな
昼恋 炎昼の鳴き砂踏んであてどなし
寄関恋 関悦に餅肌わらふ雑煮かな
関悦……セキエツ。関悦史の略称。
寄鳥恋 川波や夢みよと恋教へ鳥
恋教へ鳥……セキレイの異称。
寄商人恋 我が思ふ似顔は売らず羽子板市
著者「あとがき」に…
門松や俳諧の蛇ャの道しるべ
とあった。
高山れおな(たかやま・れおな) 1968年7月7日、茨城県日立市生まれ。
撮影・中西ひろ美「半枯の春ぞ葎も目覚めたる」↑
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