小川桂「沈む術知らぬ椿が流される」(『アンドロメダの咀嚼音』)・・


  小川桂句集『アンドロメダの咀嚼音』(ジャプラン)、帯の惹句に、


    葉牡丹にアンドロメダの咀嚼音

 なんという詩想の深さだろう/なんという詩語の豊かさだろう

 ここに萌芽しているのは/私たちのまだ知らぬ

 詩界の新しい構造である


 とある。著者「あとがき」には、


 しばらく休眠状態だった俳句を、又は始めるきっかけになったのは、コロナの流行でした。外出がままらなくなり、家でできること何かあればと思い、ふと浮かんだのが俳句でした。すぐ「現代俳句協会」に復帰させていただき、同時に以前お世話になっていた鹿児島県にある「形象」の高岡先生のお許しを得て、こちらも復帰させていただきました。

 このたび高岡先生から句集のお話をいただき、考えてもみなかったことでしたので驚きました。しかし、今年の一月末で八十八歳の「米寿」を迎える私にとっては、これが最初で最後の句集であると考え、先生の御厚意を有り難くお受けすることにいたしました。


 とあった。集名に因む句は、


  葉牡丹にアンドロメダの咀嚼音       桂


 であろう。ともあれ、愚生好みに偏するが、本集より、いくつかの句を挙げておこう。


  流氷の肉が抜けたる花サラダ

  花地図をたたんで母胎にみぞれかな

  雲の胎から桐の胎から水の一族

  風の透析青虫の血がまぶしい

  単色の愛です牡丹きっています

  笑って消えたはじめての雪だるま

  時計屋が殺されに行く大花野

  赫っとひまわり百万本の失語症

  秒針が埋められている雪兎

  白骨が一番きれいな冬銀河

  恍惚の凍蝶月の階段へ

  糸車これからきれいな蛇を生む

  戦争とトマト煮崩れてゆく残暑

  夏盛ん只今森は肉食中

  鳥けものみんな濡らして月の罠

  極刑かさくら一気に登り詰め

  まんじゅしゃげ火刑の先に海を見る

  パイプオルガン馬青々と壁に垂れ


小川桂(おがわ・かつら) 1937年、札幌市生まれ。



★閑話休題・・50周年記念・無の会陶芸展ー花と食器をテーマにー(於:富士見市文化会館 キラリ☆ふじみ)~4月25日・金まで)・・





               野村東央留作 「想」↑

             
               野村東央留氏(右)と↑

 4月23日(水)一日雨となったが、「門」同人の野村東央留氏の「50周年記念・無の会陶芸ー花と器と食器をテーマにー」に出掛けた。「無の会」誕生秘話は、置かれていた25周年記念の冊子には、富士見町に二軒しかなかったスナックの一つ『マモン』から誕生した、とあり、句会や陶芸の会の話になり、「何もないとこから焼き物をつくるのだから、無の会っていうのはどうだろう?」から始まったとある。この日、昼を野村氏に馳走になりながら伺ったこぼれ話では、命名者は、俳句誌「門」の先々代の主宰・鈴木鷹夫だという。会場への道路は花水木の花が雨に濡れて輝いていた。新緑も美しかった。



        撮影・中西ひろ美「久方の友との緩き話かな」↑

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