佐竹伸一「四方の山笑う真ん中妻の墓」(『山峡』)・・
カバー写真も著者、「初冬の大朝日岳」↑
佐竹伸一第一句集『山峡(やまかい)』(朔出版)、序は高野ムツオ、その中に、
(前略)迎え火やさあさあ虜囚五万の兵 阿部宗一郎
死して熄む兵の戦争遠雪崩
などは、戦争と平和が改めて問われる今日、再評価されるべき作品だと思っている。
佐竹伸一は、氏を父のように慕って育ち俳句に導かれてきた。「私が留守の時も、家に勝手に入って飯を食っていた」とはわらいながらの阿部の弁。今でも息子を語るように目を細めていたのをはっきりと覚えている。(中略)
だが、やっと熟した人生の果実を味わう、これからという時に生涯の伴侶を失う悲劇に見舞われた。末尾の「銀」の抄は、その看取りと別離の慟哭の記録でもある。
とあり、著者「あとがき」には、
(前略)さて、「一句は十七音のどらまであり、 句集からは作者の感性や人となりや生き様が見えてこなければならない」は、「小熊座」同人であった阿部宗一郎の生前の口癖だったが、そのような句群は、むしろ省略の効いた無駄のない十七音からしか生まれてこない。寡黙は雄弁に勝るだが、そのような句をこの句集でいくつ残し得たかは誠に心許ないかぎりである。
句集を編むにあたり、私が暮らす出羽の山峡の自然や、その中での意図での営みや生き様がよりよく伝わるように、編年ではなくカテゴリーで括ることにした。また、作句を中断した時期があったことも編年にしなかった理由である。
とあった。ともあれ、本集より、愚生好みになるが、いくつかの句を挙げておこう。
ぽんぽんとぽぽぽんぽんと葱坊主 伸一
一言も語らぬ遺影蟬時雨
荷を山毛欅に預け歩荷の三尺寝
芋の葉に露配られているところ
宗一郎
語り部の声耳朶にあり終戦忌
頂は雪へと変わる花芒
拿捕しても拿捕してもなお放屁虫
宗一郎逝く
抑留の友の迎えや渡り鳥
戸を閉ざし朽ちてゆく家実南天
星降る夜山鼠が落葉鳴らす音
雌伏とは志すこと冬木の芽
灰色の空ありて灰色の雪
産声が吹雪の底に生まれけり
肩でする息のせつなき虎落笛
亡骸の手にあかぎれの深き指
さよならを言わぬさよなら春の雪
妻の声残る携帯星月夜
妻に陰膳退職の春の夜
佐竹伸一(さたけ・しんいち) 1960(昭和35)年、山形県朝日町生まれ。
撮影・芽夢野うのき「あざやかやいよいよ川を匿う欅」↑
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