中村与謝男「雪中花すぐ木の影の乗るところ」(「像」第10号)・・


「像」第10号(像俳句会)、巻頭のエッセイは「時々の言葉」、それには、


 二十代の半ばだったかで買った内の一枚が、ブラームスの交響曲第三番だった。割りに短い曲だから、他の曲と共に収録されたレコードだったかも知れない。(中略)

 筆者を惹きつけたこの曲は一八八三年、ワーグナーが亡くなって、ブラームスが五十歳の時。当時はブラームス派対ワーグナー派の時代だったようだが、エドゥアルト・ハンスリックは曲を絶賛し、反ブラームス派のフーゴ・ヴォルフは「まったく独創性というものが欠けた、できそこないの作品」と酷評する。作品の評価とは時にそうなるのでろう。それでも第三番は他の曲と共にブラームスが残し、今も演奏され続けて聴衆を魅了する。作品に対して百対ゼロという批評がある場合も、創作者は同時代批評などさほど意識すべきではないだろう。叩かれて時には無視されたとしても、作品は遥かなる時間の中で、濾過される他に選択肢はないのだ。


 とあった。招待作家特別作品は、千葉晧史、


  永き日や夕映のまた永かりき         千葉晧史


 ともあれ、本集より、いくつかの句を挙げておきたい。


  まぼろし渤海の船雪荒び           中村与謝男

  咳止めの飴舐む栗鼠のごとき頬         中島素女

  如月の日差し早くも豆に花          占部佳代子

  身の丈のマンモスの牙は春の雪         美濃吉昭

  丹後路の雪つり並ぶ屋敷かな         美濃けい子


★閑話休題・・山内将史「弟の肩に兄の掌春の星」(「山猫便り/二〇二五年二月二十日」)・・


「山猫便り」は山内将史の葉書通信。その中に、


 蜘蛛動くあしがピアノを弾くごとく  松葉久美子『屋根を飛ぶ恋人』

「観念的な言い方をすれば、切り込みが深いね松葉は。ぼくは大いに買ってます」と星野石雀に言わしめた果断さは健在。放射状の蜘蛛の巣の縦糸は粘らない。ピア二ストの指のように慎重に野蛮に動く。


 とあった。


       撮影・鈴木純一「地図上のひとふでがきの世の終わり」↑

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