夏目漱石「自転車を輪に乗る馬場の柳かな」(『漱石がいた熊本』)・・

 

 村田由美著『漱石がいた熊本』(風間書房)、その「はじめに」に


 夏目漱石は、大正五(一九一六)年一二月九日、満五〇歳まで一ヵ月足らずというところで亡くなった。その五〇年の人生で、生まれ故郷の東京を離れて暮らしたのは、松山時代一年、熊本時代四年三ヵ月、ロンドン二年で、熊本時代が最も長い。しかし、漱石研究の中でも長い間、熊本時代の漱石は顧みられなかった。私自身、熊本に生まれ育ち、大学で漱石を研究しながら、熊本と漱石について特別に考えることはなかった。

 あるとき、漱石研究者として著名な熊坂敦子教授から「あなた熊本だったわね。野出(のいで)峠の写真を撮ってきてくれない?」と頼まれた。当時の私は『草枕』の「峠の茶屋」のモデルが「鳥越(とりごえ)」の茶店以外にあることさえ知らなかった。


 とあり、著者「あとがき」には、


 本書は、漱石没後一〇〇年・生誕一五〇年を記念して平成二八年(二〇一六)年一月六日から平成三〇(二〇一八)年五月三〇日まで毎週水曜日掲載で「西日本新聞」(熊本県版)に九九回、二年半にわたって掲載された「漱石がいた熊本」を、出版するに当たって、新たに内容に沿って章立てし、加筆修正したものである。

 連載中忘れられないのは、熊本を襲った二度の大地震(平成二八年四月一四日、同一六日)だが、奇しくも漱石が赴任し結婚式の六日後に「明治三陸地震」があったことを書いた第一三回(本文七四頁)が掲載された(四月一三日)翌日のことだった。立つこともできず、机にしがみつかなけれなばならない揺れを経験する中で、「明治三陸地震」の挿絵が頭をよぎった。余震は数十回におよんだが、連載は一週間休んだのち再開された。


 とあった。ともあれ、本書の「四 旅行・俳句」の章から、いくつかの漱石の句(全集未収録句もある)を挙げておきたい。


    内君の病を看病して

  枕辺や星別れんとする晨(あした)        漱石

    小天に春を迎えへて

  温泉や水滑らかに去年(こぞ)の垢 

  天草の後ろに寒き入日かな

  我に許せ元日なれば朝寝坊

  (こがらし)や岩に取りつく羅漢路(らかんみち)

  かしこしや未来を霜の笹結び

  二世かけて結ぶちぎりや雪の笹

  漸(ようや)くに又起きあがる吹雪かな

  温泉湧く谷の底より初嵐

  午砲(ごほう)打つ地城の上や雲の峰

  禅寺や丹田からき納豆汁

  酒債ふえぬ雪になつたり時雨たり

  むつかしや何もなき家の煤掃

  大慈寺の山門長き青田かな

  湧くからに流るゝからに春の水

  紡績の笛が鳴るなり冬の雨

  登第の君に涼しき別れかな

  部屋住みの棒使ひ居る月夜哉


  村田由美(むらた・ゆみ) 熊本市生まれ。 



 ★閑話休題・・YO-EN(ヨーエン)唄会「黄昏に恋して㉒」(於:国立・ギャラリービブリオ)・・



 昨日、4月20日(日)は、夕刻より、YO-EN唄会「黄昏に恋して㉒」2DAYSに出掛けた。先週、高円寺本の長屋でのライブ「八木重吉を歌う」に続いてである。詩人の生野毅に久しぶりに会った。



       撮影・中西ひろ美「鶯が鳴くから春をまた撮す」↑

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