安西篤「梅咲いて卑弥呼くすりと笑みこぼす」(「現代俳句」3月号より)・・

 

「現代俳句」3月号(現代俳句協会)、このところ話題のぼることの多いユネスコ無形文化遺産登録推進協議会について、筑紫磐井が「有馬朗人の言いたかったこと」と題して以下のように述べている。十分とはいかないが、少しばかり引用紹介しておこう。


(前略)これらの論の中で有馬朗人氏の発言がしばしば引用されている。しかし、有馬氏の発言がどのようなものであったかは少し吟味が必要である。

 大分古いこととなるが、愛媛県で開かれた「国際俳句コンベンション」(一九九九年九月)で有馬氏は、「俳句よりハイクへ」という基調講演を行っている。(中略)

 有馬氏はここで、俳句には季語を持ち折るものと季語を用いないものがあると明確に述べている。(中略)二〇〇〇年には追補として「松山メッセージ」を公表し、この中で、「季語が俳句を生むのではない。」という野心的なメッセージを述べている(このメッセージの起草には私も参加している)。(中略)

 有馬氏が、ユネスコ登録によって無季俳句を排除しようとしたとする論述は、俳句ユネスコ無形文化遺産登録推進協議会の発足に当たり、毎日新聞のインタビュー(二〇一七年四月二十四日)で有馬氏が発言したとされる内容によるらしい。(中略)

 俳句から無季を除外しよとする論理的な発言はないようである。しかししれでも国際俳句賞の有馬氏の講演と大分違う。(中略)有馬氏が発起人会で現実に言った発言を当日のビデオから聞き取ってみたのが以下だ。新聞インタビューでは微妙なニュアンスが変えられているようだ。(中略)

 有馬氏が繰り返し言っているのは、俳句とは「五七五の定型と季題季語+その周辺」であるということである。この続きでは、「少し広く」する理由は、中国の漢俳、米国ヨーロッパの三行詩をながめそこまで広げてゆく可能性があるからだと述べている。(中略)

 言っておくが、「例外」と「周辺」は大きく違う。(中略)

 だからユネスコ登録に当たり俳句に無季が入らないと言い出したのは有馬氏以降のことであるようだ。例えば、有馬協議会会長の後任となった能村会長が令和六年の年頭挨拶で「俳句は、五七五という短い韻文に「季語」をいれるという最低限のルールをもとに、誰でも自由に作ることができます」と発言している(俳句ユネスコ無形文化遺産登録推進協議会ニュースレター令和六年六月六日号)。

論争に当たっては、論難者を間違わないことが大事である。


と。ともあれ、以下に本誌本号より、いくつかの句を挙げておこう。  


  守る雛の他寄せ付けずかいつむり       中村和弘

  「百年の孤独」を酌みて探梅行        安西 篤

  梅林やどつと疎林の先が気にかかる     山本鬼之介

  米寿という覚悟と哀しみの歳旦        松下けん

  寒夕焼まだ生き足りず呑み足りず       石倉夏生

  海底に行方不明の桜咲く          渡辺誠一郎

  帰化しても韓人の子よ寒鴉          朴美代子

  白鳥の神の剣となる身かな          岩上諒麿

  心音のたび春野へと近づけり        檜野美果子

  初電話鵯越に切れにけり           岩田 奎

  葉牡丹の踊りはじめし美容室         岡田由季

  幾万の鶏を枯野に埋めて忘れる        山戸則江



     撮影・中西ひろ美「雛飾るなんでも雛に見えてくる」↑

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