穴井太「ゆう空の雲のおばけへはないちもんめ」(「天籟通信」3月号・第721号より)・・
「天籟通信」3月号・第721号/「天籟通信」60周年記念号(天籟俳句会)、福本弘明「創刊60周年を迎えて/創刊の理念」には、
昭和40年に誕生した「天籟通信」は、令和7年(昭和100年)の今年、創刊60周年を迎えた。長寿の祝いは還暦から始まる。まずは素直に、これまで一度の欠号もなく発行できたことを喜びたい。(中略)
「天籟通信」は「高く遊ぶ」ことを標榜している。創刊時の句会の活況は、穴井太の言葉を借りれば、詩的水準の高さと批評の高さ、混沌を極めた討論をもって参加者に俳句に倒する意欲を湧出させたからだと言う。(中略)
俳句に対する考え方はいろいろあって当然である。いろいろな考えに触れながら、俳句は自得するもの。「自得」は、穴井太がよく口にした言葉のひとつである。自分の作品は自分がつくるしかない。
「天籟通信」は俳句を書く場であって、作品の方向を示すところではない。今後も「天籟通信」に集う人たちが楽しみながら、高く遊ぶ場をめざし続けることを願う。
とあり、その他、エッセイの増田連「創刊号をめぐっての私的回想」には、
(前略)〈何しろ自分のポケット・マネーでやるのだから・・・〉と相談された。―—これが穴井と山福康政との出合いで、「天籟通信」発展の出発点になったのである。(と僕は思っている)
僕は穴井と一緒に〈山福印刷所〉に行って二人を引き合わせた。話している間に二人は直ぐ意気投合したようで僕は安心したし嬉しく思った。こうして一九九六年に「天籟通信」11号が発刊になった。実質上の創刊号である。たった八頁に薄ペラな冊子で、出句者は十七名(だったと思う)。値段は五十円である。
とあった。その他の論に、谷口慎也「穴井太は現在進行形」、佐藤文子「〈天籟通信の思い出〉師は一人」、原しょう子「人生の半分俳句」、堀本吟「『未来派』管見**遠望の過去・遠望の未来」、櫻木美保子「三年六組『私たちの穴井先生』」など。愚生にもっとも嬉しかったことは、「天籟通信探訪」として、過去の記事から、各年代のいくつかを読むことができたことだ。例えば、増田連「『伝説・杉田久女伝』ノート」、天籟塾「石牟礼道子・聞書Ⅰ・Ⅱ」など。ともあれ、以下に「私が好きな私の一句/自句自解」から句を挙げておこう。
若妻のひらりと跨ぐ初氷 今岡直孝
雲の峰歌いだすとき手を握る 上野一子
うつぶせにこみあっている夜の線描 木下真理子
くんちゃんが帰らざり島が高島 清水唯吉
寝正月髭剃の刃を替えにけり 真藤修次
大根の無垢なる光切り始む 竜口啓子
石うすの余生静かな秋の丘 椿 立子
花時計いま爆心地指す時刻 中村重義
滑空の白鷺知覧の空晴れて 福本弘明
花は葉に言の葉老いるまで綴る 堀川かずこ
原爆忌傷口はまだ濡れている 松尾安子
赤とんぼ母のモンペは短くて 宮﨑信子
洗面器やさしい春と出会いけり 森さかえ
学校を離れて元気葱坊主 山本悦子
胸奥の仏法僧を鳴かしめる 山本則男
立ち位置はゆるがぬ裸木の生き様 夢野はる香
撮影・鈴木純一「毎年のことであろうに春遅し」↑
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