-城貴代美「落葉狂いつつあり夜更けくるうのか」(『逢魔日記』より)・・
城貴代美・飛鳥けい子句集『逢魔日記』(制作 文藝春秋・企画出版部)、序は、高城修三「『逢魔日記』に寄す」には、
何とも大胆な試みである。向陽俳句会の二人の美女が「ジョイント句集」と銘打っての句集であるが、片や師匠、片やその弟子という。城貴代美さんは三十余年の俳句歴を持ち、若くして『曼荼羅撩乱』を世に問うて少なからぬ注目もあつめた人である。一方、飛鳥井けい子さんは向陽俳句会に参加して句作を始めたというから、俳句歴も三年ばかりである。その二人が一つの句集をつくるというのも驚きだが、城さんは祇園の花街で浮き名を流した妖艶なる和装の美女であり、飛鳥井さんはモンペ姿で向日市議会に通いつづけて勇名をはせた恐れを死なぬ快活な美女である。祇園の女と市民運動をリードする女性議員、この異色の二人が自らになくてはならぬ表現形式として俳句を選び、それを『逢魔日記』と題して一つにまとめようというのだから、尋常なこといではない。(中略)
正岡子規が「発句は文学なり、連俳は文学に非ず」と断案して以来、近代俳句百年の歩みは、五七五の十七文字で自立した表現世界を創出しようとする試みに他ならなかった。発句が俳句としてじりつするたには付句のもつ表現の可能性を切り捨てなければならなかった。その一つに恋があった。恋が詠みづらくなった俳句の世界に、城さんの句は時に露骨な性表現を見せながら、特異なエロチスムを匂い立たせる。
男の首抱え揺さぶる冬の竹
逢いたくて二月の廊下踏み鳴らす
猟犬に女盛りを嗅がれおり
飛鳥井さんの恋の句は率直でさっぱりした表現が新鮮である。
春の闇君は女と言い放つ
きらいです消える命の石鹸玉
天罰も何するものぞ夏薊
こうした恋の句のはざまに、ふと浮かんでくる逢魔の時がある。
とある。また城貴代美「水のささやき(あとがき)に代えて)」には、
水のある風景が好きだ。水をみつめていると、過去も未来も、大きなかたまりになって私にせまってくる。両腕で支えきれない過去が、ぽろぽろとこぼれ落ちるのを、両手で水をすくうように拾ってゆく。私にとって俳句とは、水をすくう手のひらのようなもの。手のひらは、俳句のせかいとなって未来の夢もいっぱい溢れている。できれば千手観音さまのような、たくさんの手が欲しい。(中略)
彼が会長、私が顧問として向陽俳句会を発足した。その時に、高橋君から、向日市議会議員の飛鳥井けい子さんを紹介され、一緒に句会をやりだした。
一年後、高橋君は急逝した。
冬の川濤々ながれ日本海 天
彼が亡くなる前日、電話で私に伝えた一句である。俳句が大好きだった高橋君の作品がもう見られないと思うと残念でならない。
そして、また、飛鳥井けい子「あとがき」の中には、
(前略)私のように長年政治の世界に生きていると、つい男社会にのみこまれ、女心のいとしさ、せつなさと無縁の人格になってしまっていたことに気付かされ、ドキッとしたものだ。(中略)
人の心の弱さを批判することはたやすいが、いたわり、許し、精神の癒しへのひとときの夢時間を、私も人としていとおしく感じる年代に入っていった。(中略)
しばし夢の廻廊を散歩し、浮世離れした時空間を遊ばせていただいて、すべての人のいきざまをいとおしく見つめるようになった。(中略)
一九九七年二月二日(四十五歳の誕生日に)
この句集を三十九歳で夭折した故・高橋 天氏に捧ぐ
--いくたびの春を眺め君の逝く けい子
とあった。高橋天氏とは、愚生と交遊のあった頃の名は、本名の高橋準一であった。
彼からの便りが途絶えたのは、彼が早逝したことに因があっただ。飛鳥井けい子もまた昨年8月に帰天されている。ともあれ、以下に、本集より、いくつかの句を挙げておこう。
始祖鳥の百の眼を埋め枯世界 貴代美
源流の水を抱えて冬の葦 〃
踏み込めぬところ螢の湧くところ 〃
二階より顔出すおんな花いかだ 〃
神様のくれた男と朝寝して けい子
欲しきもの両腕に抱く夜光虫 〃
電話する勇気もなくて蟻地獄(あとずさり) 〃
鴛鴦の嘘つきとおす君正し 〃
城貴代美(じょう・きよみ) 1946年、三重県生まれ。
飛鳥井けい子(あすかい・けいこ) 1952年2月2日~2024年8月28日、享年72。
撮影・芽夢野うのき「オセロ黒から白への冬日です」↑
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