桝村節子「初春や余生力まず暮らさうか」(『追憶』)・・



  桝村節子句集『追憶』(蛎殻出版)、序は山﨑十生、その中に、
 

 桝村節子さんが「紫」に参加されたのは、平成二十年からである。それ以前には、東松山市の「七耀」で活躍されていた。「七耀」は永井由清氏が主宰していた俳句雑誌で、我が師関口比良男とも懇意にしていた。私自身も埼玉県現代俳句協会を通じてご厚誼頂いていた。その「七耀」からは、小林克治氏が県内だけではなく、広く若い俳人に呼びかけて「炎」という同人誌を出していた。まさに飛ぶ鳥を落とす勢いで俳壇に登場した青年俳人であった。私も初学時代に「炎」に加わった。その小林克治氏と東松山市の「土曜句会」で五十年ぶりの再会の機会を得たこともあり、東松山市には遠からぬ縁がある。(中略)

 第三章からの作品で、特に心が魅かれたのは

   昭和史の中の自分史月今宵

   考えても考えなくても桜散る

   沈黙の力を秘めし冬木立

 な等である。節子さんに依頼されて、平成二十年から令和六年までの作品を「紫」誌から抄出している中で思ったことは、やはり、節子さんの人生を強く感じたことである。節子さん自身の人生が照射されていると言っても過言ではない。しかし、それは節子さんにとって「追憶」に収斂されてしまうのかも知れないが。


 とあり、著者「あとがき」には、


 学生の頃は、短歌を少し作っておりました。埼玉県松山市に転居し「七耀」という俳句会に誘われ入会しました。しかし、十年で解散になり、その後、「紫」の友人の紹介で山﨑十生先生の句集を読ませて頂き、すばらしい作品の数々に魅了され、すぐに「紫」に入会させて頂きました。二〇一〇年のことです。二〇一四年に同人となり現在に至っております。


とあった。ともあれ、本集より、愚生好みに偏するがいくつかの句を挙げておこう。


  白牡丹見つめてゐると消えさうに        節子

  自由なはずなのに不自由なさるすべり

  銀河とは数えきれない便りかな

  台風来三日逢はねば三日老ゆ

  己にも人にも飽きず年明ける

  生くるとはジグソーパズル返り花

  気の合ふも合はぬもかつて心太

  明日ありと咲き明日なしと咲く牡丹

  古井戸の底まで青葉映しをり

  心置くように影置く初冬の蝶

  人生の残り大切冬薔薇


 桝村節子(ますむら・せつこ) 1932(昭和7)年、広島県呉市生まれ。



 ★閑話休題・・森澤程「机上にも縁にも父の木の葉髪」(「ちょっと立ちどまって~2024・12~」)・・


「ちょっと立ちどまって」は月に一度の、森澤程と津髙里永子のお二人の葉書通信。毎回、各5句がしたためられている。よって、もう一句は、津高里永子の句を挙げておこう。


  防風林くづれの松と年守る      津髙里永子



        撮影・中西ひろ美「冬の朝猫を包みて色ぬくし」↑

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