石飛公也「無、皆無、八月六日、茸雲」(「俳句人」1月号より)・・


 「俳句人」1月号・第765号(新俳句人連盟)、「2024 年鑑」であり、特集に「祝 ノーベル平和賞/共に核兵器のない世界に向って」が組まれている。執筆陣は、和田征子(日本原水爆被害者団体協議会・事務局次長)「被団協設立から68年」」、家島昌志(東友会代表理事)「ノーベル平和賞を受賞して」、田中陽「絶望と希望ー諦めるな(ネバー・ギブ・アップ)ー」、秋尾敏「文学の仕事ー核兵器のない世界にむかってー」、衣川次郎「未来への光明」、石川貞夫「日本原水爆被害者団体協議会に/ノーベル平和賞の感動ー東京での活動にも触れてー」、石寒太「さあ、これから」、大井恒行「石飛公也(東友会・理事)氏からの俳句」、小林貴子「〈共に核兵器のない世界へむかって〉」、渡辺誠一郎「核廃絶は容易ではないが、声を発すことから」、飯田史朗「未来の子ども達に核のない地球を」、早乙女文子「祝 ノーベル平和賞」、田中千恵子「壁の中の少年は いま」など。招待席の作家は秋尾敏「音がよい」5句。その中に、


  冬ざれのものさし少し縮んだか       秋尾 敏

  冬の月昔の鉄は音がよい


 があった。ここでは、愚生の寄稿した稿について、石飛公也氏に関する部分を紹介しておきたい。


(前略)東友会(東京都原爆被害者協議会)の理事・石飛公也氏は、愚生も参加させていただいていた「遊句会」の大先輩であります。氏は朝鮮半島から引き揚げ、原爆投下直後に市内に入り被曝しました。この度『俳句人』からの原稿依頼をいただいた時、私は氏に、是非とも、ノーベル平和賞受賞後の感想を聞きたいと思い、併せて、俳句を作って下さいとお願いしました。公開を含めて、氏は快く引き受けて下さいました。以下にその便りを紹介させていただきます。




 私、石飛公也は、四歳九ヶ月の時、広島で被爆しました。

 市内に入ったのは、二日後の八月八日でした。市街地は一面焼け野原で、多数の死体が焼かれていました、毎年八月になるとあの光景と臭いを思い出します。

 二〇二四年十月十一日(金)日本原水爆被害者団体協議会がノーベル平和賞を受賞しました。被団協の構成団体である、都内の被爆者で作る、「東友会」の一員である私としては、非常に晴れがましい思いです。核兵器の恐ろしさが改めて注目され、世界から核が無くなる契機になればと切に願うものです。

  無、皆無、八月六日 茸雲         石飛公也

  青春や種蒔く人と岩波と           〃

  尾道や穴子売る人路地の奥          〃


 とあり、改めて私は、核兵器の無い世界、核兵器廃絶、原発廃棄への行動の大切さを思わされたのです。


 ともあれ、本誌本号の新春詠より、いくつかの句を挙げておきたい。


  SNSのフェーク奔りし神の留守        飯田史朗

  置きざりの骨(こつ)が抱き合い虎落笛   田中千恵子

  初日の出跨ぎ上昇ガザ死数         望月たけし

  伏字どれもはがねの言葉結氷期        工藤博司

  目に馴染む「紙の保険証」風邪受診      万葉太郎

  花野なら降りてみようか無人駅        粥川青猿

  冬虹や抱かれ棚田郷烟る          丸山美沙夫

  混沌のなかの心眼星月夜          金子まさ江



    撮影・芽夢野うのき「終わりが近しはじめなつかし初明り」↑

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