佐山哲郎「グロンサン内服液を屠蘇とする」(『わなん【和南】』)・・
佐山哲郎第4句集『わなん【和南】』(西田書店)、帯の表と背には、
コクリコ坂和尚と終活俳句探偵団
快作『じたん【事譚】』から名著『娑婆娑婆』をはさみ23年。
俳人は「旅宿の境界」に生きる。
稀代の俳人、最後の句集
とある。跋文は金井真紀「西念寺で遊ぶ人たち」、その中に、
(前略)西念寺の句会には、夏と冬に名物がある。
8月19日、つまり「俳句の日」に行われるのが「短冊供養」なる謎の宗教イベントだ。烏鷺坊さんにより解説は以下のとおり。(中略)
烏鷺坊さんは「短冊供養は当寺に江戸時代から伝わる風習」とかなんとか言っているけど、真相はわからない。
儀式は夕刻に始まる。本堂の阿弥陀如来像の前に短冊が積み上げられ、袈裟を身にまとっ烏鷺坊さんがまじめくさってお経をあげる。いつも騒々しい俳人たちも、このときばかりは神妙な顔つきで整列し、順番にお焼香をする。わたしもいそいそと前に進み出て、名目合掌。(中略)
ずいぶん前に中嶋いづるさんが亡くなっったとき、俳句ともだちで寄せ書きをした。寄せ書きの帳面がまわってきて、なにを書こうか迷って、前のほうのページをめくってみた。長谷川裕さんが、あのおおらかでやさしい字で、
「楽しかったよ。また遊ぼうね」
と書いていて、それが強く印象に残っている。
存分に遊んで、別れ際には「楽しかったよ。また遊ぼうね」と言う。生きるってそういうことだよな、としみじみ思う。
とあった。思えば、中嶋いづるは現俳協の青年部の創設メンバーの一人だった。愚生もまた、「楽しかったよ」と言おう、と改めて思った(でも、早すぎたよ・・)。
また、著者「あとがき」には、
第三句集『娑婆娑婆』から十三年。いろいろなことがあった。大事な先輩、友人、後輩までもが次々と往詣楽邦、すなわちお浄土へと旅立った。
当人の私は、というと、重度の心筋梗塞で救急搬送され九死に一生を得たものの、そのリハビリ中に癌が発見され、既に肺と肝臓に転移があるという。
ふうん、人生最末尾、一気にいろいろ来るもんだなあ。というわけで殊勝にも終活を考えてみることにした。が、何から手をつければいいか見当がつかない。とりあえず横道へ逸れて、作りぱなっしで取り散らかったまんまの俳句でもせいりするか、という、いつもの仕儀ににあいなった。
とあった。ともあれ、愚生好みに偏するが、以下にいくつかの句を挙げておこう。
風船の来ては戦争だよと告ぐ 哲郎
八面と六臂に別れ山笑ふ
右折から不意に花洛となりにけり
バス通り裏うかれ町うかれ猫
ああこはれちやうとしやぼん玉
これをもちましてめでたく春動く
え?同じ?まじ?唐(から)の忌と修司の
青蚊帳の今朝は流木状の父
いま死んだけしきが見えて昼寝かな
数体は国防色の浮いてこい
あきつしまやまとまほろばげりらあめ
噴水をやつてと言はれ湯に沈む
幽冥のどつち岸だよ曼殊沙華
啄木鳥、の。自傷行為。を。疑はず。
ここらから暗渠雪虫低く飛ぶ
多少傷ありのサックスくりすます
正月と掛けて時効と溶き汁粉
佐山哲郎(さやま・てつろう) 1948年東京根岸生まれ。
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