綾部仁喜「息欲しく声欲しき日や竜の玉」(『綾部仁喜全句集』)・・


 藤本美和子編著『綾部仁喜全句集』(ふらんす堂)。その帯には、


  寒木となりきるひかり枝にあり

 石田波郷を師系とし、波郷の唱えた韻文精神を生涯かけてつらぬいた綾部仁喜の全句集。

「や、かな、けり」の切れ字への信頼はゆるぎないまのがあり、饒舌を排し、もの言わぬ俳句をめざしつつ、作品は深い余情を宿す。補遺として句集未収録の「鶴」投句時代の作品を収録。

 既刊四句集に「俳句日記」「『沈黙』以後「補遺」『鶴』投句時代」を加え、2443句のほか、解題、年譜、初句索引、季語索引を収録。


 とある。 また、藤本美和子「あとがき」の中には、


 (前略)平成二年、石田勝彦から第三代「泉」主宰を継承後は「俳句以外のなにものでもない俳句」「純粋俳句」を私共に説き続け。実践に務める歳月でもありました。なかでも第二句集『樸簡』の「あとがき」に記した「俳句は造花の語る即刻の説話と考へてゐる。俳人はその再話者である」は綾部の俳句観を示す言葉として知られています。

 しかしながら、平成十六年三月末、七十五歳の折、肺気腫による気管切開のため声を失いました。筆談に頼る日々でしたが、

  綿虫や病むを師系として病めり     仁喜

 と自身の境涯もまた「師系として」受け入れ、十年ぶりにおよぶ入院生活を送ったのであした。


 とあった。ともあれ、本集より、愚生好みに偏するが、ここでは、句集『沈黙』刊行以後の句と「補遺・『鶴』投句時代」から、いくつかの句を挙げておきたい。因みに、本日、1月10日は、綾部仁喜が、2015(平成27)年に没した日である。享年85だった。


  北空を鳥翔けあがる大暑かな        仁喜

  一日の桜の窓を閉めにけり

  うすうすといのちの汚れ木の実にも

  声失せて言葉かがやく白露かな

  桜濃し死は一人づつ一夜づつ

  波郷忌のなほ病みたらぬ弟子一人

    失神

  意識ややもどりて来たるほととぎす

  名月を懐に入れ戻るなり

  わが病みてむささびを見ず鬼女を見ず

  妻恋ふは即ち謝する柿紅葉

  百日紅働く水を蓋で飲む

    わが家を含めて近隣の土地強制収用ときまる、

    反対闘争も空しく潰ゆ

  吏の前や一語にも汗したたらせ

  ふたたび見ず万国旗上の秋燕

  葬さむし汝やストマイ初期患者

  片蔭もなき母の墓買ひにけり

  木瓜に出て祭のごとき蝶と虻

  暗きより暗き声わく鬼やらひ


 綾部仁喜(あやべ・じんき) 1929(昭和4)年3月26日~2015(平成15)年1月10日。享年85。東京八王子生まれ。

 藤本美和子(ふじもと・みわこ) 1950年、和歌山県生まれ。


★閑話休題・・尾上哲「門松を作りし祖父の指のしわ」(「立川こぶし句会」於:立川市高松学習館)・・


 本日、1月10日(金)は、「立川こぶし句会」(於:立川市高松学習館)だった。雑詠4句持ち寄り。以下に一人一句を挙げておこう。


  六十年核に抗(あらが)ひ冬桜       井澤勝代

  冬の星ささやきこぼるテレサ・テン     高橋桂子

  名を知らぬ紅き実を打つ寒の雨       大澤千里

  忘年会昭和の唄にしらけどり        尾上 哲

  寒林に乾いたひびき小さき影        川村恵子

  注連縄の藁の香匂う神棚や         伊藤康次

  火の用心夜回りの声揃いけり        三橋米子

  孫成人プラス六十おらも春         和田信行

  あじさいの枯れ神様は冷ややかな      大井t恒行


 次回は2月14日(金)午後2時から。句会後新年会が予定されている。



       撮影・中西ひろ美「松過ぎて蜜柑ばかりの彩りに」↑

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