加藤治郎「すきとおるオニオンスライス酢にひたす兵役のない国に生まれて」(「長周新聞」第9212号・2025年1月6日)・・
「長周新聞」第9212号・2025年1月6日(月)(長周新聞社)、4面に加藤治郎(未来短歌会)は「短歌で時代とどう向き合うか」との題で以下のように記している。
二〇二四年にノーベル平和賞を日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)が受賞した。うれしいことである。核兵器廃絶という世界の意思がはっきり表明されたのである。「核兵器は人間と共存できない」(日本被団協)という理念があらためて光る。
世界の意思に現実は追いつくか。まだ長く困難な道のりがあるだろう。如何に国家が動くかが問題である。(中略)
私はどうなんだ。戦争を知らない子供たち」(北山修作詞)は、大人になり高齢者となった。兵役がない。殆どの人は拳銃で実弾を発射した経験がない。こんな平和な国の外濠は既に埋められている。いつ戦争の当事者になるかわからない。それでもぎりぎり持ちこたえている現在である。
ヘリコプター二機着陸すどちらかに大統領は乗っていない、着
オバマ大統領は、広島の前にアメリカ軍岩国基地を訪問した。極東の平和のために任務を遂行する兵士たちを激励したのだ。アメリカの兵士は何を思っているのだろう。何を支えに異国の地にいるのだろう、大統領の訪問を心から歓迎したにちがいない。アメリカこそが心の拠り所なのだろう。兵役のない私が平然と見ることはできないはずだ。ヘリコプター二機が広島に着陸した。(中略)
オバマ大統領に謝罪の言葉はなかった。一個人の問題では済まない。アメリカの歴史と国家を否定することに繋がるからだ。被爆者と抱き合うオバマ大統領の姿が強く印象に残った。シンパシーを感じた。あれはポーズではなかった。人間としての心があった。誠意を感じた。それで十分ではないか。いや、やはり足りない。歴史家の検証ではない。アメリカ国民が原爆投下を検証する。国民の総意に基づき国家として謝罪する日を待ち望む。(中略)
アトミックボム、ごめんなさいとアメリカの少年が言うほほえみながら
金髪の少年は純真無垢である。歴史への自覚が芽生えたとき少年は素直に原爆投下を謝る。何年先か先のことを思い描いてみた。いや、この声はまだ私たちに届いていないだけかもしれまい。きっと今この少年はいる。
とあった。同時掲載のほかの短歌を二首のみになるがあげておこう。
マッシュルームクラウドと言え溶けだした叫びの量(かさ)をただ想うのみ
一枚の皮膚であるときわたくしはひりりと青い光を放つ
加藤治郎(かとう・じろう)1959年、愛知県名古屋市生まれ。
撮影・中西ひろ美「待つとする冬の苺のめでたさを」↑
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