島一木「風呂吹にしるす十字架われも信徒」(『日月耕読』)・・

 

 島一木『日月耕読』(冨岡書房)、装画は著者。いつものことながら、略歴もなければ「あとがき」なども何もない。句集はすでに4冊目ではないかとおもうが、不明である。愚生が覚えているのは。かつて、高柳重信亡きあとの暫くを、阿部完市、三橋敏雄、藤田湘子などでの共同編集時代があり、その実務を澤好摩が担っていた頃、原正樹こと島一木は、その実務を補助していた。その後、「俳句研究」は角川書店の子会社・富士見書房に買い取られ、彼は失職した。その無職の時代、毎日、俳句文学館に開館から閉館まで毎日通い詰めては俳句漬けの日々を送っていた。従って、愚生がごくたまであるにも関わらず、俳句文学館に行くと必ず彼に会えたのだった。その後、しばらくして彼は実家のある関西に戻り、阪神淡路大震災に遭遇した。震災後のボランティアで日々くたくたになっていた。一度だけ、俳句なんかまったくできません。倒れ込むように寝て、また起きて現場に行くだけですと愚生に便りして、音信は途絶えたのだった。その彼が健在であったことだけで嬉しい。ともあれ、本集より、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておこう。


  いざご帰還 放蕩息子の夏の果て       一木

  潮騒や埠頭へ蝶はかへりくる 

  扇子にて顔をかくすは狐かも

  枯れ木の根 都市から都市へのびる荒地

  トランプにあらず落ち葉の寝覚めかな  

  蜩よ詠嘆の度が過ぎてゐる

  よつこらしよ 蜷のあとから蜷うごく

  食器棚より皿しづみゆく春の海

  波として粒であるとは日脚のぶ

  山彦の返しともなく落し文

  花人の連れなる犬は花を見ず

  とくとくの清水とくとくちとせかな

  逆しまにとまり擬態の蝶となる

  紅葉へと疎水の渦は移りゆく



 ★閑話休題・・河口聖展「Recollection」・樋口慶子展「地といきもの」(於:ギャラリー檜e/F)・・



               河口聖氏↑

 一昨日、河口聖展・穂口慶子展ともに、最終日にやっとギャラリー檜e,Fを訪ねることができた。



     撮影・芽夢野うのき「ひたすらに膝掛け毛布の緋が恋し」↑

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