黒田杏子「紬着て発たれし後の十三夜」(『一行の自己表現』より)・・


 黒田杏子『一行の自己表現』(朔出版)、「あとがきに代えて」には、


 本小冊子は、二〇〇三年十月十八日、三菱商事株式会社で行われた「MC経営塾」に於いて、講師としてお招きした故・黒田杏子氏の講演の記録である。

 黒田杏子氏が二〇二三年三月十三日に急逝された折、嘗て講演をお願いした会社の責任者として、人事部へ関連資料の照会を行った処、講演を録音したコンパクト・カセットテープが保管されていることが判明した。直ちに関係者で試聴してみたが、録音自体に欠落がある他、再生機器が旧式のアウトプットであることから、再生に多くの手間と時間を要した。(中略)

 なお。講演の後半には、黒田杏子氏による受講者詠の句評もあり、長時間に及んだが、句評の部分は割愛した。

    二〇二四年五月吉日

                      三菱商事株式会社顧問  古川洽次


 とあった。本書は黒田杏子のご主人・黒田勝雄氏から届けられた。その「ご挨拶」に、「この度……杏子八十六回目の誕生日となる日に世に送り出され」とあり、歳の結びに、「皆様のお心に杏子の言葉が届くことを願っています」とあった。ともあれ、本書中の「小岩の園長さん」の部分から抽いておこう。


 (前略)八十歳から始めて、NHK生涯教育センターというところの通信教育に入りまして、句集も歌集も出しましたけれども、そのおばあさんの代表句は、

   もうじきに参りますよと墓洗ふ

 墓洗ふというのが季語です。お盆の時期なんです。この句は、死んだ旦那さんのお墓を洗っているわけです。(中略)

 それでもう一つ、この人にはすごい句がありまして、保育園もつくったんですね。ご主人が死んでから、小岩のお寺の境内に。羽生瑞枝さんという名前なんですけれども、みづえ保育園とおうのをつくって、園長になったわけです。娘さんがもう七十八歳ぐらいです。だって、お母さんが百二歳ですから。

  此の国を頼むと渡す卒園書

 卒園書というのは保育園の卒業証書ですよ。(中略)

 そうしたら、一か月経った頃に、先生、先月の句を訂正しますって、本人が自分の字で書いているんですよ。代筆なんかしてもらってないんですから。

  此の国を興せと渡す卒園書

 その人は字が本当にお上手で、年賀状は、百歳を超えても子供と一緒になって作っています。


 とあった。

 

 黒田杏子(くろだ・ももこ) 1938年8月10日~2023年3月13日。東京生まれ。



 ★閑話休題・・尾上哲「牧の馬背中を濡らす海霧(じり)深し」(「立川こぶし句会」・於:立川市高松学習館)・・


 本日、11月8日(金)は、愚生が講師を務めるようになって3回目の「こぶし句会」(於:立川市高松学習館)だった。雑詠持ち寄り3句。以下に一人一句を挙げておこう。


  ランプの灯テント一張(ひとはり)星月夜  川村恵子

  公園にゲイトボールの音冴ゆる       山蔭典子

  青梅線山を背負いて吊るし         伊藤康次

  落鯛(おちだい)を吊り上ぐ桟橋都会の子  井澤勝代

  老犬の歩みゆるやか芒揺れ         三橋米子

  箱根路に一秒届かず散りもみじ       和田信行

  法要日御膳に並ぶきのこの香        大澤千里

  国境は何の為なの鳥渡る          尾上 哲

  風の声陽のしずくとて秋の山        大井恒行


 次回は、12月13日(金)、立川市高松学習館に於いて。、持ち寄り雑詠4句。


     撮影・芽夢野うのき「誘惑や夢の辻にて実のなる冬」↑

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