原満三寿「死神ののっぺらぼうのべらぼうめ」(『俳扉』)・・
原満三寿第11句集『俳扉の朝』(深夜叢書社)、帯の惹句には、
天翔けるニッポニアーニッポン天缺ける
木洩れ日の朝がはじまる俳扉
「あらゆる生類が、少しでもやさしく生きられる空を望めないものでしょうか」(「あとがき」より)―—地球温暖化による異常気象は、わたしたち人類が招いた災厄にほかならない。この世界の危機的状況と作者の多様な思いが〈俳扉〉を介して重奏する、異端かつ画期の第十一句集
とあり、背には「漲る俳諧力」とある。また、著者「あとがき」には、
三十年ほど親しくしていただいた詩人の飯島耕一さんの代表詩集に『他人の空』があります。崩壊した戦後の精神状況を暗喩したものです。
他人の空にせよ、自分の空にせよ、かつては、そこにまぎれもにあ人や生きものの空がありました。しかし、今の空は、わたしたちに牙をむける凶暴な空と化したと言えるでしょう。温室ガス排出最多更新、世界気温3度上昇も杞憂ではなくなっています。(中略)
〈俳扉〉は、そうした危惧を抱いている最中に立ち現れた造語です。ささやかでも地球の異常とわたしなりの俳諧力で向き合ってみたいとの思いです。全句集の造語〈俳鴉〉が降られたのかもしれません。(中略)
俳扉 舞いでてただただ一孤蝶
この句は、前書にあるように齋藤愼爾さん追悼の句です。俳扉を模索していますと、ふわりと愼爾さん想いの句が降ってきたのです。わたしの第二句集から本句集まで、すべて愼爾さんの後押しのたまものです。
とあった。ともあれ、本集より、愚生好みに偏するが、以下にいくつかの句を挙げておこう。
俳扉 百鬼・死民は通りゃんせ
*死民=石牟礼道子さんの造語
枯れ野面 年相応に白光す
秘すほどに勿忘草の情強(こわ)し
きみたちの未生の修羅を肩車
温暖禍 流木のはらわた曝される
パラソルへバスからうちふる手の無惨
過疎の村 謀議をあおる遺影たち
雪おんな人に憑(よ)るほど溶ける陰(ほと)
太郎は咬み次郎は舐める雪おんな
ホームにて若い夕陽にハグされる
蛍狩りうしろのしょうん女盛り
どの鬼も絶滅危惧の鬼種流離
獰猛な空を慰撫して日は昇る
原満三寿(はら・まさじ) 1940年、北海道夕張生まれ。
偶然に、11月3日、日曜日の朝、ベッドに横になってテレビをつけたら、橋本照嵩が「NHK・Dearにっぽん」に出ているのを見た。故郷の石巻で毎年開いてきた子ども向けの写真教室でのものだ。1996年から2009年までの14年間のもので、子どもたちに返そうと思って保管していた子写真だ。展示のなかに見つけた写真は家族の方々は持ち帰ることだできる。震災前のものだから、津波で亡くなった子の写真もある。
愚生は、そばに置いているデジカメにいくつかを収めた。放映は、最初に、マンホールを撮っている照嵩さんから始まったが、それは撮りそこねた。
お元気な姿を拝見して懐かしかった。愚生が彼に出会ったのは、写真集『瞽女(ごぜ)』だった。震災後、石巻で開かれた写真展には、旅の途中に寄ったこともある。
撮影・中西ひろ美「こっちかもしれない出口かもしれない」↑
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