各務麗至「にんげんの死 百日の夜の月光は野のにほふ中すずしげに射す」(『風のすがた 今生 ラブソング いいよりの海』より)・・
各務麗至『風のすがた 今生 ラブソング いいよりの海』栞版(詭激時代社)、短歌「風のすがた」20首は、末尾の注に「ステンドグラスの鳥籠 詭激時代 短歌 サンデー毎日 読売新聞 昭和五十年月日不詳~五十五年月日不詳/*27~32歳/風のすがた 青い鳥2 別名川島秀一郎で 二十首抄出編 令和六年九月―—かがわ文化芸術祭2024 高松市長賞」とある。その中の五首を以下に、
癌と医師は言へり 物語りめきし母よわが肩に月かぶさりぬ 麗至
目とぢればちちと佇つまどあかねして森ひそかにて日のにほひたつ
理解なく立ち尽くすした風の道あざやかにしてコスモス曼陀羅
父は死にけり死ののちを死臭ひきずりゆくりなく睡る母のゑみ
ふるさとよ野づらを渡る鳥よああわれが損なひし父のかろさよ
俳句は「今生」と題して20句、それにも注がある。「瀬戸大橋開通記念俳句大会 金子兜太選ーーはるのかはいしくづれをりしづかなり 大会賞 平成元年」/*41歳/21世紀の俳句はどうなるか 第六回現代俳句協会 青年部シンポジューム/略歴提言に添えた提出二十句 平成六年六月/*45歳/今生 との題名を付けて 青い鳥2 令和六年九月」
その俳句のうち5句を挙げておこう。
金泥経を出て凍蝶の吹かれけり 麗至
椿よりこぼれ椿にかへりゆく
放たれてより今生の青嵐
稲妻のいつしゆん夜の水いそぐ
なほ上へ虹の湾曲ついに見えず
「ラブソング」「いいよりこの海」は掌編小説。いずれも初出より改稿とある。「あとがき」とも言える「近況」には、
作文六十年にして香川の文芸「青い鳥」誌に同人参加することになった。同郷の篠永哲一先生の紹介で、「かがわ文化芸術祭」参加文芸誌―—新作でなくてもよいと言うこともあったり……、
私も、今春はじめ体力気力の限界か純文学熱が冷めてしまったそんな心境変化もあって、正字体旧漢字や歴史的仮名遣いで『みんなに分かるように書かないと』と近隣で言われてきた若い頃からの独善的?個人誌に、三橋敏雄先生や麻生知子の後の唯一の存在であっていただけた野口雅澄先生や今回の篠永先生の言で何ら拘ることがなくなり、単に「青い鳥」誌だけでなくいろいろ投稿応募することになった。
それというのも、いつも一人、一人冊子と書きますが、それは一人を意識するのと同じように一人ではないとの意識があってのことでした。麻生や志都や夏…‥。その他たくさんの人に救われ教えられて万人を意識しての一人なのです。
とあった。
鈴木純一「ひぐらしや赤子に持たす土ふまず」↑
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