久光良一「誰もこない淋しい夜も心は点けておく」(令和六年・2024年秋」『句抄覚え書き』/句会プリント別冊41)・・


  令和六年 2024年秋『句抄覚え書き(句会プリント別冊41)』(周防一夜会)、今どき珍しい謄写印刷による手作り冊子である。周防一夜会は自由律俳句会である。句会は毎月第二日曜日の午後に地域の公民館で続けられてきた。令和6年10月で607回になるという。そのエッセイの久光良一「老いと俳句」には、


 (前略)私は昭和十年一月二十一日生まれであるから現在既に満八十九歳になっており、かぞえ歳は九十歳である。つまり私はあの「老」とか「翁」と呼ばれていた碧松さんよりも歳をとってしまっているのである。

 ちゃんとした頭脳と一本の筆があれば、俳句は何歳になっても作ることはできる。しかし、その質が落ちることはないのだろうか。私は二十年ばかり句会の世話をしてきたのだが、いくらすぐれた俳人でも、やはり年齢が九十歳を越えるあたりになると、衰えを感じさせる句が多くなってくることは否めないような気がする。(中略)

  明治、大正、昭和と、ついうかうかと歩んだ八十七年のわたくしの人生であるが、今にして振り返ってみると、なんと月日の速く、また無為であったことか…

 この碧松さんの述懐は、時代を昭和、平成、令和と書き替えれば、まさに私の思いと同じと言えそうである。(中略)

 もはや新鮮な句が作れなくなった自分への言い訳かもしれないが、これからの俳句人生を私なりに意味あるものとするためにも「老い」というものに正しくむきあって、自分なりの表現で、けれん味のない枯れた味の句を書き残したいものだと思っている。


 とあった。ともあれ、以下に本誌よりいくつかの句を挙げておこう。


  笑わずしゃべらずそれでも生きて一日       久光良一

  糸が通らないただそれだけのさびしさ      藤井千恵子

  熱心に聞いてくれる 私の口から言葉あふれる  村田ミチヱ

  生き難い此の世の日だまりに水仙の一群れ     松根静枝

  病んだ心を積んだ笹舟をそっと流れに       吉川 聡

  よい風いちばんすずしいところにねころぶ     花田紀子

  散るを覚悟の昭和より令和天寿の花筏       吉村勝義

  知恵と強気で軽くかわした昭和のセクハラ     小藤淳子

  重たいものを捨て雲になる            下森勇二

  蟻の行列延々とのびてその先が見えない      甲斐信子

  悲しいこと全部すいこんで夕日 海の底へ     山口綾子

  あなたの大切な時 有難う           小林みつ枝

  気嵐が河口に立ち上る朝 霜柱を踏む      國本英智郎

   


           鈴木純一「人質のたわゝに実る多幸感」↑

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