大屋達治「心太押し出す無重力の闇」(「無限」第五号より)・・

 

「無限」第五号(無限俳句会)、米岡隆文「■黙思録(其伍)■/『切れ』は『接着剤』である」の中に、


(前略)初句5音をA、中七プラス下五計12音をBとすると、⓵から⑥までの句はA=B(逆にB=A、交換の法則)となる構造をもって」いる。(中略)

 ⑤清滝=波に散り込む青松葉

     →波に散り込む青松葉=清滝

 芭蕉が発明したこの手法はAとBがお互い暗喩関係になると言うものである。 

 現代俳句はこのA=Bという暗喩関係を句またがりを逸脱して中間切れ(8音9音あるいは98音)によって達成した。

  〈8音・9音中間切れの例句〉

 〇天は固体なり/山頂の蟻の全滅      夏石番矢

 〇こがね打ちのべし/からすみ炙るべし   小澤 實

 〇佐渡ヶ島ほどに/布団を離しけり     櫂未知子

 〇てぬぐいの如く/大きく花菖蒲      岸本尚毅

 〇はんざきの水に/二階のありにけり    生駒大祐

   〈9音・8音中間切れの例句〉

 〇階段を濡らして/昼が来てゐたり     攝津幸彦

 〇心太押し出す/無重力の闇        大屋達治

 〇つまみたる夏蝶/トランプの厚さ     髙柳克弘

 〇起立礼着席/青葉風過ぎた        神野紗希

 〇何も書かなければ/ここに蚊もいない   福田若之  (中略)

 とうとう日本の俳句はここまでたどり着いたのである。

 この事は何を示すのか? 

 短歌が万葉集の五七調から古今集の七五調へ、さらに新古今集で五七五(上句)と七七(下句」との分離から連歌への道を開いたことが短歌の終焉を招いたように、俳句がA(上句)B(下句)と分かれたことは俳句の終焉を物語っている。

 とうとう日本の詩歌は俳句の解離を持って終焉を迎えるのである。


 とあった。他の論考に、米岡隆文「■俳句の解析学 古典篇■/再々再々再読蕪村ー俳聖芭蕉と比較しながら」、綿原芳美「世界地図から日本の国名が消える日」がある。招待席の詩篇に髙丸もと子「過ごしてきた」。ともあれ、本号より、以下にいくつかの句を挙げておこう。


  さんすうはこくごじゃないかぶーらんこ    稲垣濤吾

  おれはおんなになりましたおぼろ夜     上野乃武彌

  油虫絶滅させて夜の空虚          筒井美代子

  もじずりもひともつぁつまきもらせん     花城功子

  半畳の居所だいじ蟇             綿原芳美

  夏至の日のこんにやく問答は無用       湾 夕彦

  愚痴ならばもっとあります蟹の泡       穐山常男

  うしろから失礼します死神です        前田霧人



    撮影・芽夢野うのき「秋の実や眠れるいのちの手も足も」↑

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