井口時男「天上の蜜に渇くや蝶の旅」(『深夜叢書社年代記』栞より)・・


  齋藤愼爾著『深夜叢書社年代記/流謫と自存』(深夜叢書社)、栞文「追悼・齋藤愼爾」の執筆陣は、井口時男「天上に蜜の渇くや蝶の旅」、井上荒野「ポーの人」、上野千鶴子「齋藤愼爾」、小川哲生「ささやかな映画上映会」、倉橋健一「六〇年代の申し子」、立石伯「齋藤愼爾という未知」、原満三寿「愼爾さんの兜太批判」、ハルノ宵子「似たもの同士」、松岡祥男「齋藤愼爾さんを思う」、水原紫苑「天使?」、山根悠子「『角砂糖の日』のころ」。

 凡例に、おもに「本書は、出版総合誌『出版ニュース』(出版ニュース社発行)に、二〇一二年一月上・中旬号から二〇一五年六月上旬号まで、四十二回にわたり連載された『流謫と自存 深夜叢書社年代記』から抄出し、まとめたものである」とあり、継続連載された「齋藤愼爾の平成歳時記」からの抄出、再構成され書である。奥付の協力に「清田義昭/出版ニュース社)の名を見つけたのも、愚生としては、「清田氏健在なのだ」と思い嬉しかった。

 巻頭の「創業前夜 六〇安保闘争の余燼になかで」には、


 志だけは幻影のコンミューンを求めて出立したつもりの深夜叢書社は、今年(二〇二一年)で四十九年になる。創業出版の宍戸恭一『現代史の視点―—〈進歩的〉知識人論』の奥付が一九六四年二月十日となっている。(中略)

 ◆二十世紀の深夜版を…‥

 深夜叢書社は、いうまでもなく、ナチス・ドイツによる占領下のフランスで抵抗文学のもっとも多産な母胎となった「深夜版」もしくは「夜の出版」(Editions de Minuit)からとった。加藤周一氏が岩波文庫のヴェルコール『海の沈黙』で、初めて深夜叢書と訳した。と十数年間も思っていたが、実はそれ以前に渡辺一夫氏が、『きけ わだつみのこえ』の序文で、そのように訳したのが、初訳であった。(中略)

 「二十世紀は夜である。夜とは実存のことだ。そして実存とは、夜、目醒めている者の謂いだ」云々は、もともと矢内原伊作氏の発した言葉だが、毎日、毎夜、仲間に復唱しているうちに、読み人知らず、いつの間にか、私が創出したエピグラフということになった。(中略)

 ポーランドのレジスタンスは、もっと複雑だった。ナチスのファシズムにソヴィエトのスターリニズムが複合していた。だから『灰とダイヤモンド』を涙なくしては観られなかった。この映画は、わが深夜叢書の原点をなす一篇である。(中略)

 そしてその暮れに出た「思想の科学」(一九五九年十二月号)も渡辺京二氏の「挫折について」というやはり『灰とダイヤモンド』を主題としたエッセイの中の「挫折が人間にとって意味ある体験たりうるのは、それが歴史の論理と個人の魂の論理とのさけめをつなぐ回路の起点となるかぎりにおいてである」を読むことで、深夜叢書を立ちあげようという想念は沸点に達したのであった。(中略)

 ある思想が理解された瞬間、その思想は前衛性を失い、後衛に堕す。広く市民権を得て、公認化され、つまり体制となる。とすれば真の表現者は自らの理解者がひとりも出現しないことを希わないか。やすやすと理解されてたまるかという痛憤。時代からも人間からも世界からも遠くに流謫されたわが身を夢想するものではないか。白昼の官許の文学史に録されたことを恥じる。世界を凍らしむるていの、生存の根底に依拠する己が暗冥を、史家の手すさびに委ねるのを拒絶する。そんな出版社は可能であるか。


 とあった。齋藤愼爾さんとの思い出はいくつかあるが、なかでも、椎名陽子・市川恂々が中心にいた「夢座」誌の客分だった齋藤愼爾・江里昭彦と愚生、とりわけ齋藤愼爾は総合誌には、到底書けない辛辣な俳句批評を江里昭彦とともに毎号執筆していた(愼爾さんもそれを楽しみにしていた)。そして、晩年の齋藤愼爾編集『金子兜太の〈現在〉 定住漂白』(春陽堂書店・2020年)では、愚生が30歳代に書いた「金子兜太の挫折」(「俳句研究」1982年6月号)を探しだして再掲載してくれた。あと一つは、高屋窓秋収載『歳華悠々』(東京四季出版)の選句を「高屋さんは大井君だったらいい、と言っているが引き受けてくれるか」と言われたこと、である。登場人物の中に愚生にとっては縁の深い人も何人か居られる。ともあれ、本書なかの句をいくつか挙げておこう。


  女陰(ほと)の中に男ほろびて入りゆけり   堀井春一郎

  独立記念日火夫より不意に火が匂ふ       石原吉郎

  母に摘む 多産系のきの           上野ちづこ

  蝶あまた群るる夢なか吾も蝶          吉本和子

  みほとけの指遊ばせて白き蝶         渡部伸一郎

  篳篥(ひちりき)に一蝶檄(たぎ)つ記紀の山  齋藤愼爾

  桃さいて薄笑いする日章旗           原満三寿



★閑話休題・・武藤幹「ずれてゆく話の先の『平和』かな」 (第63回「ことごと句会」)・・


 本日、10月19日(土)は、後の月のあと、深秋と言えども真夏日予報のなか、第63回「ことごと句会」(於:ルノアール新宿区役所横店)だった。兼題は「石」。以下に一人一句を挙げておこう。


  梨の歯触りオノマトペが湧き出す       江良純雄

  蒟蒻や人の見難(にく)き裏表        石原友夫

  メジカラノアイコンタクトキンメダイ     杦森松一

  どう言ふ訳か母の形見や茎の石        村上直樹

  実紫淫らなる遠き血潮            照井三余

  月今宵真珠の眠る海静か           渡邉樹音

  UFO見たミミズも鳴いた吾が人生       武藤 幹

  良夜行く月よ孤独の先達よ          渡辺信子

  思草後ろめたさに突き当る         杉本青三郎

  ノコノコは地下に七年、人地に七日      金田一剛

  猟犬放ち未来の言葉届くのか         大井恒行

  

  次回は、11月25日(月)の予定。場所未定。



       撮影・鈴木純一「雨だからシチューはキノコぐりとぐら」↑

              「ぐりとぐら」の作者

              中川季枝子さん 89

              20241014日逝去

「ぐりとぐら」の作者

中川季枝子さん 89

20241014日逝去

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